子供の頃読んでいそうで、意外に読んでいなかった宮沢賢治の一冊。これまた動物が出てくる。
ゴーシュは町の活動写真館でセロ(チェロ)を弾く係。けれど楽団の中では1番下手で常に団長に酷評ばかりされる。
ある日、家に帰ったゴーシュは家でセロの練習をするが、4夜にわたり動物たちが現れる。ゴーシュの問題点を指摘するが、徐々にゴーシュの心に変化が現れる...。
賢治のストーリーの展開は奇想天外。それを単なる童話としてみてしまうには、心がすっきりしない。ゴーシュと動物たちの会話は自分自身との心の対話なのだろうか?
ゴーシュは町の活動写真館でセロ(チェロ)を弾く係。けれど楽団の中では1番下手で常に団長に酷評ばかりされる。
ある日、家に帰ったゴーシュは家でセロの練習をするが、4夜にわたり動物たちが現れる。ゴーシュの問題点を指摘するが、徐々にゴーシュの心に変化が現れる...。
賢治のストーリーの展開は奇想天外。それを単なる童話としてみてしまうには、心がすっきりしない。ゴーシュと動物たちの会話は自分自身との心の対話なのだろうか?
「先生、そうお怒りになっちゃ、おからだにさわります。それよりシューマンのトロイメライをひいてごらんなさい。きいてあげますから。」
「生意気なことを云うな。ねこのくせに。」セロ弾きはしゃくにさわってこのねこのやつ
どうしてくれようとしばらく考えました。
「いやご遠慮はありません。どうぞ。わたしはどうも先生の音楽をきかないとねむられないんです。」
「生意気なことを云うな。ねこのくせに。」セロ弾きはしゃくにさわってこのねこのやつ
どうしてくれようとしばらく考えました。
「いやご遠慮はありません。どうぞ。わたしはどうも先生の音楽をきかないとねむられないんです。」
そして、最後の意味深な台詞。
「ああ、かっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんぢゃなかったんだ」と謝る。
毎晩、水をガブガブ飲むゴーシュ。心の乾きが、はじめは受け入れられなかった動物たちの言葉を少しずつ受け入れ、人間的にも成長していったということか。
自分が変わってこそ起きる変化がある。わかっていても、認めたくないもの。わかっていても、変われないもの。わかっていても、謝れないこと...。
きっと動物たちは、目に見えない力によって送られた使者だったのかもしれない。そして、ふと背中を押してくれたのだ。
実は賢治もチェロを習っていたらしい。自分の問題点をゴーシュの問題点にあげたのだろうか。
ところで、チェロといえば2Cellos。昨年12月に彼らのコンサートに行ったが、今年の来伊はミラノ素通り。2016年も5月に来るが、ヴェローナのみ。ちっ。
読み聞かせ 「セロ弾きのゴーシュ」
さだまさし「セロ弾きのゴーシュ」
