明日10月25日は「空手の日」。
沖縄で発祥した空手は、もともと「沖縄手」「唐手」と呼ばれていたが、日本国内はもとより広く世界へ普及させるために1936年10月25日に「空手」の表記が公式決定されたという。そして、2005年、空手界からの働きにより、沖縄県議会は10月25日を「空手の日」と宣言決議し、今年で10年目。
ところで、空手が2020年に行われる東京オリンピックの追加種目最終候補に決定しているが(来年8月に決定する)個人的には、武道を競技化するのはどうなのだろう?とも思う。(決して否定的な意味ではなく)もちろんそれを願っている方々も多くいるはず。けれど、そうでなくても流派もたくさんあるので、様々な考え方やルールもあるし、統一させるのは難儀だろうなあと想像する。
余談だが、日本の武道は「勝ち負け」を表裏一体のものとして「勝つことは負ける人がいるから存在する。だから勝った方は負けた人のことを思い憚って粛々と自分を支えてくれた人たちに感謝し、自分が破った相手に「惻隠の情」、つまり思いやりの心を示すことが肝要である」とされているという。そういう意味じゃ、ロス五輪の際、柔道の山下選手が右足を負傷しているのを知りながら、そこを責めなかったエジプト人柔道家か話題になることがあった。事実はどうだったかはわからないが、スポーツマンシップというのは、どのスポーツもベストを尽くした時に称えられるものではないか?逆に、相手の選手に大きなハンデあることを知りつつ、ベストを尽くすのは、スポーツマンシップではない、加えて、相手の怪我により競い合うことができないのは非常に残念....などという様々な反応があったという。
また、相撲の朝青龍が土俵上で勝利の後にガッツポーズをし、品位を汚すということで避難されたこともあった。このような出来事は、外国人には理解しがたいことだろう。もしかしたら、日本の若者さえも、小さい頃から競争社会で生き、「勝ち組」「負け組」と二分されてしまっていたら、こういう心情は失われてしまうのかもしれない。微妙だなあ。
また、相撲の朝青龍が土俵上で勝利の後にガッツポーズをし、品位を汚すということで避難されたこともあった。このような出来事は、外国人には理解しがたいことだろう。もしかしたら、日本の若者さえも、小さい頃から競争社会で生き、「勝ち組」「負け組」と二分されてしまっていたら、こういう心情は失われてしまうのかもしれない。微妙だなあ。
ところで、今日は空手の稽古に入る前に、前の時間帯の門下生に対し、師範が「時間の使い方」に関する講話をされていた。小学生時代の月曜朝礼の際の、校長先生のお話を思い出す。以前在籍していた門下生の大学進学に関し、いつまで空手を続けていたか。つまり受験勉強にかけた時間の比重に関し、いかに自分の目標のために、心を強く持って突き進むか、そういった話だった。時間がたっぷりあっても逆に上手に時間を使いこなせず、自分に言い訳し、妥協する...。私がちらっと長男、次男を見て睨むと、耳が痛い...というような顔をした。私もしょっちゅう言っていることだからだ。「今日できることを明日に延ばさない」「自分に負けるな」と。
空手は、己を見つめ、己を正し、己を磨くものである。
なんでいきなり空手なの?なんでそんなにはまってるの?友人たちが皆私を笑う。武道は内面を磨く最高の手段、まさに、これなのだと思う。誰それに勝つ、という目標ではなく、迷いや甘えの多い自分自身に勝つものでありたい。そういう思いが、ぴたっとツボにはまったとでも言おうか。笑
話はもとい、10月25日の「空手の日」沖縄では、その日を記念した演武祭(沖縄伝統空手道振興会、県、県議会主催)が25日午後2時から、那覇市の国際通りで開かれる。県内各流派の空手家をはじめ、ドイツやインドなど海外からの参加者を含め、子どもから高段者まで過去最多となる約2千人が一斉に演武するのだそうだ。
空手界が一体となり、空手発祥の地を発信!
