今週水曜日から、昨年までの生徒、母子、そして今日から新規の生徒、母子が加わり、2015-16年度のItamaの授業が始まった。
受付をしてなくても、ダメ元で来てしまうアラブ系母子がどれだけいるか!また、別の学校と二股に受講予約を入れていても、お互いの学校がリストを合わせてみているので、スパツィオビンビ希望者のダブルブッキングの場合は、どちらかをキャンセルしてもらわないといけない。それは意地悪でも何でもなく、お互いの学校の別の生徒を思えば席を譲るべきこと。でも必ず生徒に大泣きされるし、かわいそうだと言ってくる別のボランティアもいる。だが、組織というものを理解していれば、それは当然のことだろう。
同じビジョンを持ってボランティアをしていても、動けば動くほど文句を言われることが多い。
先日、「私がボランティアをする理由」を書いた。けれど実際、矛盾もあるし葛藤も多い。
http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12080304673.html
シッター要員の意識改革のためにも研修を早めにしてほしい、と要請したので、一応理事会側として、私ともう一人のメンバーが研修をオーガナイズする精神病理学の専門家と先月会って来た。講義は5時間500ユーロ。出席者が多ければ意義も大きいと思うけれど、どれだけ人が集まるか。見積もりを比較するため、地域で活動する教育関係のカウンセラー(実際はママ友)とも会った。まず言われたのは、他のメンバーに意識改革を期待する前に、まずは理事会のメンバー、組織の上に立つメンバーが変わらなければ何もかわらない、と言われた。
じゃあ、「モチベーションの低いボランティアは私たちのせいってこと?」メンバーが言った。微妙だな...と思う。確かに、この人何をしに来ているのだろう?という人がたまにいる。ずっと携帯電話を見ながら、子供をあやす学生。注意しても全く反省の色もない。さすがに今年はいなくなったが、時間を守らないとか、どういった意味を見出そうとしているの?と思わず聞きたくなるような人、などなど。最低限のルールは守り、決まった時間帯に来て、その人のマックスの力を出すことが大切。無償であるのをわかっている分、見返りを求めていないのであればそれだけでありがとうと思うべし、と言われ、正直うーーん、それだけというのもちょっと寂しいなと思ってしまった。
ただ、やはりマイナス要素を無視し続けられないし、重箱をつつくようなこともできない。活動のさらなる発展を思うと、どうあるべきか悩むのだ。はっきり言って、ボランティアをして疲れ切ってしまっては意味がない。少なくとも、子供達の笑顔に救われ、母親たちにありがとう、と言われれば嬉しく思うが、そうでないと非常に重く感じてしまう。
人の批判をしたり、悪口をいう時点で、人は自分の視点で相手を見てしまう。つまりエゴだ。やるならば喜んでしないといけない。自分に反対する人、好きでない人にも神様がともにおられることを忘れないようにしないといけない。その人も神様が私に送ってくださった人なのだろう。試されていると思い、愛を込めて接するようにしないといけない。辛抱強く付き合ってこそ、私は強められることだろう。
...といっても、宗教的に考える人はほとんどいない。今まで抱いてきた自己の価値観を振り返りながら、組織に対する自分の関わり方や自己の役割、立場などを理解しあい、悩みや葛藤を共有することが大切であろう。
Itamaの、またボランティア各個人の更なる成長に向けて、忍耐と愛情が頼りだ。子育てと一緒だわあ。
話はそれたが、2015-16年度の最終申し込みは10月21日水曜日9時半より。生徒(大人)のみ募集。
...といっても、宗教的に考える人はほとんどいない。今まで抱いてきた自己の価値観を振り返りながら、組織に対する自分の関わり方や自己の役割、立場などを理解しあい、悩みや葛藤を共有することが大切であろう。
Itamaの、またボランティア各個人の更なる成長に向けて、忍耐と愛情が頼りだ。子育てと一緒だわあ。
話はそれたが、2015-16年度の最終申し込みは10月21日水曜日9時半より。生徒(大人)のみ募集。
