ついに長女が、大学入学のためボローニャに発ってしまった。
ミラノーボローニャ間200キロ。東海道線では、東京ー藤枝間ほど。東北本線だったら、東京ー矢吹間。上越線だったら、東京ー越後湯沢間。それほど、遠くない?そして、しょっちゅう友達の家に泊り歩いていたが、やはり生活のために何処かへ行ってしまうというのは、別の話。よくここまで育ったなあ、と感慨にふけってしまう。
ところで、彼女の親友が自死し、そろそろ1年が経とうとしている。
友人のご両親が信じる宗教では、彼女の死を美化していた。周りも、違和感を感じつつもそっとしていたが、長女のみがずっと怒こっていた。友人の死によって、どれほど多くの人が悲しみ、どれほそ苦しみ、そしてどれほど自分を責めたことか。だからこそ、生きられなかった誰かのために、一生懸命、命をかけて生きて欲しい、と思う。
思い起こせば、夫が脱サラし、また私たちはローマの郊外に住み、夫はミラノ、週末にならないと戻ってこない生活だった。乳飲み子の長男を抱え、日本人のいない郊外での生活はきつかった。長女も幼稚園に慣れてくれず、毎朝号泣。本当に辛くて夕日を見ては涙していたっけ。ミラノに来て、なんとか日本人社会に入ろうとして、幼児の読み聞かせグループにも参加。長女は本好きで、夜寝なくてもずっと本を読んでいる子だった。5歳から始めた日記も日本語は10歳まで続き、その後はイタリア語になった。補習校での作文も書きたいことがたくさんあって、原稿用紙の周りを何重にも書き込んで、もっと考えを絞り込むようにしましょうと先生に言われたこともあった。本当に文学が好きだった。(その分、弟たちに反動の波がいってしまったが)
それでも背伸びして入った古典課の高校は、毎年赤点。毎年ドキドキしながら夏休みを過ごした。ギリギリ最低点での卒業。でも卒業は卒業だ。これからは、道が開けている。
反抗期のぶつかり合いもきつかった。やっと落ち着いてきたかな?と思ったら、今度は長男の番だ。たまんないわ~。
最後は、涙をこらえて笑顔で「気をつけて」としか言えなかった。これからが、本当の自分との闘いだと思う。それでもきっと今が人生で一番良い時だと思う。踏ん張ることが大切だ。
子供の旅立ちは、親にとってある意味、子育てのゴールではないが、目標第一地点通過、というところだろうか?それでも、親はたとえ子育てが終わっても「帰れる場所」として、子供の心の支えであり続けられるよう、私も強くならないと。


