さまよえる難民 from北アフリカ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

90年代末から密航船でイタリアに渡ってくる移民•難民の数は絶えない。



そもそも難民とはなんだろう?日本では、「就職難民」「ネットカフェ難民」などという言葉を聞くが、本来「難民」とは、難民条約によると、”「人種、宗教、国籍若しくは特定の社会的集団の構成員であること又は政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができない者又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まない者」”とある。また、戦争や政治の混乱によって危険を感じ国籍国を出た避難民も広い意味での難民とみなされている。彼らは決して不法滞在者ではなく、国際条約によって保護が義務付けられているが、その地位を認めるかどうかは申請を受けた各国が審査し、独自に判断するという。

内戦が長期化するシリアを脱出する難民たちが、命がけで地中海を渡り、電車でミラノまで来て、先進的な難民政策で知られる北欧やドイツを目指す。ただ、EU加盟国の域内で「移動の自由」を保証するシェンゲン協定を結ぶ国々では、難民の地位を得るために最初に入国した国での申請が義務付けられているが、イタリアから逃げて見つかってイタリアへ送り返させれる、というケースもかなりあるようだ。

シリア難民は世界全体で約220万人とも言われており、そのうちイタリアには昨年の夏の時点で12万人に到達したという。ちなみに、昨年のみで2万4千人。ミラノ関しては、中央駅をはじめ、古い閉鎖された小学校などが宿泊施設として解放され、難民たちで埋まった。子供達もかなりいる。

地元の閉鎖された小学校にシリア難民たちがいるらしいというので、昨年、古着を集めて持ち込んだ。彼らは手荷物など何一つ持たずに国を逃げ出してきているのだ。何を必要とされているのかわからない。移動用のバッグが必要と言われ、口コミ、FBなどを利用し、荷物をはじめ、施設に通う事数回。どうも、ボランティアも足りないのか、荷物を運び込んだ途端に、シリア人に囲まれてしまったこともあった。言葉が通じない。

今年の初め、再び上記小学校に出かけてみたが、様子が違う。近所の人に聞いてみても、「知らない」という。こんなに洋服を集めたのに、どうしよう?サンシーロ地域の修道院経営の保育園兼シングルマザーなどが住んでいる施設を訪ねた。ちょうどお昼時だったのか、ベルを鳴らしても反応なし。やっとインターフォン越しに返事が来たが、事務所に行って!誰もいなきゃ後にして!と断られた。出直すか?最後に、やはり同じサンシーロ地域でシングルマザーや援助の必要な人たちが駆け込む施設、「ナザレの家」を訪ねた。玄関で「シリア難民のところ行った?」と聞かれたので、「誰もいないようでした。どこかへ移動したのでしょうか?」というと、「そんなはずない。この裏だよ?そこに行ったの?」という。そこにもシリア難民たちが受け入れられていたとは、想像もしていなかった。

中へ入ると、数人のシリア人発見。誰か責任者いますか?といっても、言葉が通じない。一人英語を話す若者がいて、イタリア人スタッフを連れてきた。3人若いイタリア人の男性、女性のスタッフと話をしたが、物資は十分にあるという。オルトジャーロという地域に別の難民施設があるので、そこならまだまだ物資が必要だろう、と言われ、結局翌日に出直し。

その間に、また男性用の靴を集め、車で出かけた。やはり、そこも古い大きな学校の校舎だった。そこには120人のシリア人難民がいるが、目と鼻の先の施設には400人いると言う。そして、私が昨年の夏から通っていた学校は、2週間前に、近所の人たちのシリア人難民収容反対の結果、違う場所へ移動させられたという。なんという!とはいえ、不況のイタリア。イタリア人でさえ、失業者が多いのに、どんだけ難民を受け入れるのか?治安の問題も含め人々の不安と怒りもあるようだ。また保護者がいない未成年に関しては、滞在許可証を発行され、イタリアに滞在することも可能。ただし、子供達は滞在許可証の有無にかかわらず学校に通わなければならない。そうなると、何かと学校でも問題は増えることだろう。(実際、人種の坩堝であるサンシーロ地区の公立の学校では、何かと問題は絶えず学校崩壊に近い状況で次男を転校させた。)

話は戻り、その後行った施設では、洋服や子供のおもちゃは実際、いっぱいで、シーツやシャンプーなどが必要だと言われた。難民たちも、移動先で何をどうやって生活していくのかもわからないが、その移動待ちの間もかなり暇を持て余しているようで、自由に外を出歩けるようだが、不安は退けないだろうなあと思うと本当に気の毒に思う。

この一週間の間に、地中海(4月15日)では、移民船が沈没し400人が、イタリア•ランペドウーサ沖(4月18日)では、700人が死亡したと確認されており、また昨日もギリシャ•ロードス島で移民を乗せたボートが沈没。



行方不明者とその家族のことを思うと祈りを捧げずにはいられない。彼らは、飢えや傷き、迫害、搾取に苦しみ、戦争の犠牲となったとはいえ、私たちの同じ人間なのだ。たまたまそこに生まれてしまったがために、私たちとは違った人生を強いられている。それを、人生、運命だと流して良い問題なのだろうか?

今年の1月11日フランス全土で370万人、パリで160万人もの人々が"Je suis Charlie"をスローガンにテロへの抗議と犠牲者への追悼に集結し、団結を示した大集会とデモ行進が行われたのは、まだ記憶に新しい。あの団結力があったのだから、今回のような悲劇が二度と起きないよう、国際社会に決然とした迅速な行動を願いたいものだ。

そして、私たちもどんなに小さなことであっても、自分のできる行いに意味をつけることで、苦しんでいる人に、捧げられる大きな行為になるのではないだろうか?


http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/pub/pamph/nanmin.html
http://www.unhcr.or.jp/protect/treaty/1951_joyaku.html
http://provai.ciao.jp/pensare/nanmin-5/