考えてみれば、洗礼を受けて(2006年)から一度も自分のパロッキア(小区教会)で枝の主日に参列したことがなかった。いつも、この日は、在ミラノカトリック日本人会のミサに参列していたのだ。枝の日を祝いつつ、前倒しで食事会もしていた。かれこれ、40年近く日本人会の歴史と共にあった行事だったので、疑問も持ったことがなかったが現実的にはまだ復活祭前。まだおめでとうとは言えない。今年は、その枝の日のミサを皆、自分のパロッキアでのミサに参加しましょう、ということで日本人ミサの日程を変えてみた。
従って、初めての自分の教会での枝の日のミサ。盛大だった。
普段11時15分から始まるミサだが、今日は11時から。遅くとも10時20分から聖歌隊の練習をするから、と言われていたが、サマータイム突入で、結局緊張して早起きしてしまったので、早く出かけると、まだフランス人会のミサが続いており、練習はできず。結局30分待った。
教会の外から、司祭、助祭たち、そして会衆も皆オリーブの枝を持って入堂。振り香炉のお香の香りと煙が教会中に漂う。日本ではどれくらい振り香炉の頻度があるかわからないが、ミサでこの煙と香りが漂うたびに、あ~カトリック!と思う。
さて、皆が手にし、また十字架にもつけられていたオリーブの枝は、キリストが受難に先立ちエルサレムに入城した際,民衆が枝をかざしてその凱旋を祝ったことを記念している。国によって棕櫚の枝、蘇鉄などがあるという。イタリアはオリーブ。ノアの箱舟で放たれた鳩が持ち帰ったのはオリーブの枝。平和の象徴だ。
しかし、イエスのエルサレム入城を歓喜で迎えた民衆も其の数日後にはころっと態度が代わり、犯罪者バラバのために、キリストを十字架にはりつけろと叫ぶ。なんと薄情な!しかし、これが人間なのかもしれない。
ところで、ヴァチカンにて行われた「枝の主日」のごミサでは、パパ様は、「イエスの道は、謙遜の道」と問われた。
http://ja.radiovaticana.va/news/2015/03/29/受難の主日:教皇「イエスの道は、謙遜の道」/1133197
また、「受難」は主イエスキリストが救いの意味を与えた十字架を生きる人間の日常を思い起こさせる、と加えられた。キリストの受難と共に始まり、復活と共に終わると言うことは、救いにたどり着く歩みでもある。毎日小さな復活を築きましょう。
画像は今回持ち帰ったオリーブの枝。オリーブは「平和」の象徴。そして「祝福」の象徴でもある。そして、この枝を見るたび、自分の利便性や快適さを少し我慢して、誰かのために役立とうと思い出せるように。
こちらは、エルサレムでの「枝の主日」の様子。生きている間に、一度は聖週間に巡礼に行きたい。https://www.youtube.com/watch?v=58wAuKo2lzE
http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-12007493212.html
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