中はガラガラ。しかも来ていたのは,外国人ばかり。イタリア人は皆ヴァカンス中?!
それでも地元の教会は,24日の夜のミサは,お御堂が満杯だったが,25,26日...と徐々に人がへり,今日のミサは乳児の洗礼式があったせいか,多少人数も戻っていた。ちまたのクリスマスヴァカンス事情がよくわかる。
帰宅してから,ここ数日にたまった瓶•缶をアパート敷地内のゴミ集積所に捨てに行った。毎年,趣味は悪いが,クリスマス直後のゴミ集積所のゴミの状況を見て,その年の景気度がわかる。
紙用のゴミ箱は,プレゼントのパッケージや包装紙,シャンパンやスプマンテの厚ぼったい箱の入れ物など、キラキラ物であふれる年もあったが,ごくごく普通のゴミ。新聞,広告,スーパーで売っているBauliのパネットーネの箱一つ。
瓶用のゴミ箱は,上記シャンパンやスプマンテの空瓶どころか,捨ててあるのは,オリーブの瓶とか,トマトソースの瓶ばかり。ワインのボトルは我が家だけじゃん!どんだけ飲んでる私???
ちなみに,我が家が住むアパートはこじんまりしていて、8軒所帯が敷地内に二棟。この時期、隣の棟に何軒残っているか知らないが、我が家の棟は、8軒中4軒、つまり半分が不在で半分が居残り。
ところで,先週がゴミ収集の税金支払い期限だったが,どんだけ人が支払ったのか。支払わないと罰金が加算され,雪だるま状態になるというのに...
今の世の中,景気を良くするためには,お金の循環をよくする,つまり物を買わせる事が必要だと考える人が多い。どんどん物を売り,消費者は物を買い,それによって,企業が潤い,景気が良くなるという。けれど既に物のあふれている先進国,物質的な豊かさに慣れてしまい,物で人をはかる社会は大きな誤りに陥っているのではないか?物ばかりに頼っている生活には,常に不満と不安が残る。この矛盾はなんなのだろう?本当の満足感,心の充足とはなんだろう?
先日,日本では4人に3人,親と同居する年収200万円未満の若者が急増中だという記事を読んだ。年収が低いから実家住まいなのか,それとも実家住まいという甘えが年収に妥協してしまうのか?それでいて物質主義に走る昨今。矛盾だらけだ....
宗教談義は御法度とされる雰囲気がどこにいってもあるが,真の豊かさを求める時,人間の【生】の最も深いところにある「魂」や「宗教」の次元にまで掘り下げる事なしでは不可能に思ってしまうのは私だけだろうか?
それは,時代錯誤でもなく,荒廃,混迷する現代社会に生きる私たちが逃れる事のできない,または逃れてはいけない重大な課題に思えて仕方ない。
