11月18日
Quanto rumore nel mondo! Impariamo a stare in silenzio davanti a noi stessi e davanti a Dio.
世界はなんと騒がしいことでしょう。私達自身また神の御前で沈黙を保つよう学びましょう。
11月20日
Cerchiamo di vivere in maniera sempre degna della nostra vocazione cristiana.
キリスト者の召命に常に答える生き方をしましょう。
11月22日
Quando noi incontriamo una persona veramente bisognosa, riconosciamo in lei il volto di Dio?
本当に助けを要している人に出会う時、私達はその人の中に神のみ顔を見出しているでしょうか?
11月27日
L’amore è la misura della fede.
愛は信仰の目安です。
PapaFrancesco
@Pontifex_it
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
ついにローマ典礼も待降節に入った。
待降節第1主日のミサの集会祈願: 待降節の歩みを始める私たちの心の目を開いて下さい。
ミラノのアンブロジアーノ典礼は待降節に入り2週間が経つが、心の目は開いているだろうか?
真の光である方を受け入れるために、心を清めて待つことができるよう、この準備の時を生かすことができますように。
物理的に忙しい時期であるが、「心」を「亡く」さないよう心がけないといけない。
だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。
日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。
酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て
主イエス・キリストを身にまといなさい。
欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません
このキリストとともに生きることを「身にまとう」、着衣と表現するこの言葉は、洗礼式にもシンボルとして取り入れられている。
洗礼どころかキリストの戸をたたき始めてから,私たちは結局常に救いの道を歩んでいるはずだが,キリスト者としての生き方を,そしてキリストの「死」と「復活」の記念である祭儀にあずかる際も,私たちを最後まで愛し,私たちのためにご自分の命を捧げてくださった主イエスに心を合わせて,愛の交わりをもつことの「意識」がいかに大切か...と思う。
11月20日
Cerchiamo di vivere in maniera sempre degna della nostra vocazione cristiana.
キリスト者の召命に常に答える生き方をしましょう。
11月22日
Quando noi incontriamo una persona veramente bisognosa, riconosciamo in lei il volto di Dio?
本当に助けを要している人に出会う時、私達はその人の中に神のみ顔を見出しているでしょうか?
11月27日
L’amore è la misura della fede.
愛は信仰の目安です。
PapaFrancesco
@Pontifex_it
~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~
ついにローマ典礼も待降節に入った。
待降節第1主日のミサの集会祈願: 待降節の歩みを始める私たちの心の目を開いて下さい。
ミラノのアンブロジアーノ典礼は待降節に入り2週間が経つが、心の目は開いているだろうか?
真の光である方を受け入れるために、心を清めて待つことができるよう、この準備の時を生かすことができますように。
物理的に忙しい時期であるが、「心」を「亡く」さないよう心がけないといけない。
だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう。
日中を歩むように、品位をもって歩もうではありませんか。
酒宴と酩酊、淫乱と好色、争いとねたみを捨て
主イエス・キリストを身にまといなさい。
欲望を満足させようとして、肉に心を用いてはなりません
このキリストとともに生きることを「身にまとう」、着衣と表現するこの言葉は、洗礼式にもシンボルとして取り入れられている。
洗礼どころかキリストの戸をたたき始めてから,私たちは結局常に救いの道を歩んでいるはずだが,キリスト者としての生き方を,そしてキリストの「死」と「復活」の記念である祭儀にあずかる際も,私たちを最後まで愛し,私たちのためにご自分の命を捧げてくださった主イエスに心を合わせて,愛の交わりをもつことの「意識」がいかに大切か...と思う。
いよいよ12月に入る。
「師」も「走る」【師走】。いや,「年果つる月」で【師走】だ...といろいろな説がある。
何にこの師走の町に行く烏 by芭蕉
この慌ただしい年の暮れ,何でわざわざ街中へ,あのカラスは飛んで行くのか...という意味のようだ。なんだかんだこの忙しい年末に,わざわざ「挨拶」を名目にいろいろな会が催される。 疑問を感じた時は,それは神様からのメッセージかもしれない。心の目は開いていますか?
