柱の傷 2014 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

昨日帰国したばかりだが,父が車を手放したため,成田からはバスで最寄の駅まで移動。そこからタクシーに乗って帰宅すると、母に連絡しておいたらバスが到着するところまで迎えに来てくれていた。

子供たちにあった途端、「うわ~っ」と母の驚嘆の声。
この1年で、長男,次男は身長が非常に伸びた。
又、長女は、昨年の夏から身長は伸びていないが,8キロ痩せた。

この年齢の成長は、幼児の成長とはまた違って大きなもの。
父もメールでは,あちこち痛いといっているが、見た目にはそれほど太りもせず、やせもせず変わらないように見えた。逆に、長旅の疲れで,私がひどい顔をしていただろうし、「年取ったわね」といわれるのが嫌で,何気に顔を合わせにくかった。苦笑

帰宅してからは、親戚の誰がぼけてきた、近所の誰が亡くなった・・・そんな話ばかり。子供が成長すれば、周りの大人も一歩、「老い」の道を進むんだな、と現実的なことを考えてしまった。

ところで、毎年帰国の度に,実家の柱に子供たちの身長を記録する。私と弟も子供の頃、そこに記録していたのだが、すっかり消えてしまった。今は、我が家の子供たち3人と弟の子供の4人分。昔の家なので、天井は低く、特に柱の部分は、アコーデオン・カーテンが引けるようになっており、その部分だけ枠のように壁が低くなっている。私の弟は、身長が190センチ近いので、そこを通るたび,首を低くしていたが,ついに長男も普通に通ろうとして、頭をぶつけてしまったようだ。

現在9歳7ヶ月の次男は、正確に何センチだかわからないが,長女の12歳3ヶ月の時の身長だという。そうやって兄弟間での比較も面白い。

私たちがやってくるまで,実家は家の外壁工事が行われていた。ベランダに置く物置や植木は一切、外にだしていたようだが、運び出すのが大変で、一日かかったし、足腰は痛いし・・・というので、子供たちにやらせるから心配しないで、というと、あっという間に運んでくれた。ずいぶん頼もしくなったものだと実感。

1年に1度しかあえないけれど,子供たちの成長は、すべて柱の傷が吸収してくれているように思える。狭い家なので、よればさわれば喧嘩になるし、暑くてうっとうしいが,今後子供たちが大きくなるとそういうことも懐かしくなるのかもしれない。

老夫婦二人だけの生活で、ごはんもおかずもちょこっとだけで十分だというが、子供たちが大きくなると、これでもかっ!これでもかっ!と食べるので、「わたしゃ給食のおばさんじゃない!」と文句を言いつつ嬉しそうだ。父方の祖父は、父が若い頃なくなり、祖母も私が3,4歳の頃亡くなっている。そういう意味では、母方の祖母とは、一緒に暮らしていた時期もあるし、思い出も沢山。今子供たちも私の両親と毎年夏に過ごすことで,思い出となって彼らの記憶に残っていくのだろう。

豊かな人間性や子供を躾ける上での価値基準は、以前は、家族の営みを通し継承されるものだった。それが、今では核家族が基本となり、モラルも低下し、生きていく価値観自体が変わってきているような気がする。人間の知恵、伝統的文化、そして家族への思い・・・。徐々に帰国できる期間が子供の事情により減ってきて、何かとお金はかかるし、エネルギーもいる。けれど、やはり祖父母や親類がいる限り、子供のためにも両親のためにも帰国したいと思った。

今年も、また柱の傷が,家族の絆を吸収してくれることだろう。


http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-11581693913.html