夏休みに入り、今回初めて次男を教会のオラトリオに送り込んだ。
オラトリオとは、教会学校のようなものだが、祈りの時間はあるものの、宗教を教えるのではなく、愛情や道理など教えてくれる。なんといってもイタリアの夏休みは3ヶ月。非常に長い。家族と旅行といっても、親だって仕事をしていたり、3ヶ月ずっと旅行はしていられない。市やスポーツクラブ主催のサマー・キャンプも存在するが、金額はピンきり。そういう意味では、教会のオラトリオは、営利目的ではないし、健全なもの。例え、教会が企画していても、キリスト教だけの集まりではなく、人種の坩堝であるここサン・シーロ地区は、それこそイスラム教徒の子供もいれば、国籍も数え切れない子供(小1~中3)までが集まっており、学生や保護者のボランティアによって支えられているのだ。
オラトリオ初日、次男は行くのを渋った。友達はいない。つまらなそう。ぶつぶつ・・・
我がパロッキアのオラトリオを主催しているドン・リッカルドは、司祭になってまだ数年。まだ28歳という若さ。次男は非常は内弁慶で、恥ずかしがりやなので、慣れるまでに時間がかかるので、はじめの部分だけ慎重に見てほしいと頼んだら、「問題ないよ。感受性の強いグループで様子を見よう」と言ってくれた。子供たちの内面性を重視してくれるのは、そこらの公立の学校とは違って非常に安心。
次男、初日から戻ってくるなり、「来年も行く!」という。非常に楽しかったようだ。
さて、この夏のオラトリオ。毎年テーマがあり、今年のそれは、<Piano Terra ~ E venne ad abitare in mezzo a noi>。Piano Terraとは、通常建物の「1階」(イタリアでは2階に当たる)のことを言うが、ここでは、オラトリオ、つまり皆が共にすごす「家」を示しているようだ。そして、E venne...は聖書の言葉(ヨハネ1:14)で、(言葉は肉となって)「私たちの間に宿られた」というもの。
我がパロッキアは申込者が150名だが、友人の所は、毎年400名はいるというし、今日友人に聞いた郊外のパロッキアでは、500名の子供たちを抱えているというから驚いた。
一日1ユーロ。週に3回給食が出、希望者は1食2ユーロ。遠足あり、プールあり、其のたびに、料金はかかるものの、他のサマー・スクールとは比べ物にならないほど低価格。もちろん、学生、保護者はボランティア。
昨日、私もボランティアで折り紙教室に出かけてきた。14,5人を1時間ほど教えただろうか?わからない、わからないという子供がいたので、順番に見るから待っててね!といったのに、できないといって泣き出してしまったから、驚いてしまった。昨日は手裏剣とピカチュウを教えた。「来週もくるよね?」「今度は鶴にして!」とリクエスト。
今日子供たちは、ベルガモの動物園へ遠足に出かけてきた。毎週金曜日は一日プール。
ちなみに、毎朝、今年のテーマソング「Piano Terra」を歌って踊るらしい。
オラトリオを提唱したサレジオ会のドン・ボスコはいう。「子供を愛するだけでは足りない。子供は、自分が愛されていることを感じないといけない。」と。サレジオ会では「Assistenza・アシステンツァ」という言葉をよく使うそうだが、これは「共にいること」を意味する。教育の場合、主役は教師ではなく、子供自身。教師は、生徒と付き合いながら、その生活に参加したり、助言したり、見守ったりする。「共にいる」ことによって心が通い合う。親子の場合や師弟の場合も「共にいる」ことが教育の基本。日常生活の付き合いがなければ、いくら素晴らしいことを話していても通じないだろう。それプラスやはり信仰は生きていくうえに大切なこと。私がカトリック信者だから、というわけではないが、やはりボランティアをはじめ、上に立つ人たちがしっかりとした考え方と信念を持ち、生活の手本を通してそれを示さなければならない。実生活の証があってこそ、教育は成り立つものだと思う。
あまりにも、多国籍のオラトリオなので、一瞬度肝を抜かれたが、皆の心が一つになり、「喜び」に満たされ帰宅できますように。子供と共に人格的なふれあいに感謝。
