親切とお節介 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

この世には、悪魔のような人もいるけれど、決して、生まれながらではないだろう。善魔だっていておかしくない。笑

ただ、思うのは、人に良かれと思ってしたことが、迷惑、お節介だということもあるだろう。「小さな親切、大きなお世話」。結構これが、厄介なのかもしれない。

バスの中、お年よりや怪我をした人に、席を譲ろうとしたら、嫌な顔をする人もたまにいる。そんな年じゃない。必要ない、ということか?いずれにしても、相手に不愉快な思いをさせる親切もあるのだと思う。

また、以前イタリアに来た駐在員で妻子が後からくるので、面倒をみてほしい、と頼まれたが、いざ自分がその立場だったら知りたい生活面にかかわる情報などを書き、病院、お店、いろいろなところに付き添ったが、迷惑でした?と感じる経験がある。行く先々でT子の知り合いなら・・・といわれると、その後自分が常に私と比較されるとでも思ったのだろうか?彼女のプライドを傷つけてしまった様子。

更には、親切のつもりが「(その人を)陥れた」といわれ、途方に暮れてしまったこともある。お節介を超え、悪意だと思われてしまったのだから、唖然。それこそ、晴天の霹靂だった。

ところで、アメリカ人はよく、mind your own business、頭文字をとってMYOB、つまりお節介をするな、ということを言う。イタリア語でもBusiness =affare。ビジネス、問題、関心事ということで、 é affar mio! 大きなお世話だ。私だけの問題だ、ということになる。

お節介にならないためには、自己満足を排除すること、相手の必要を見極める、見返りを求めない心のありようが大切だという。決して、見返りなんて求めてないし、相手が喜んでくれれば・・・と思っているだけなんだけど。まあ、それが善意の押し付け、お節介なの?あちゃ~。

でもね、でもね。親切を受ける人の心、そして、相手の気持ちを受け取る謙虚さ、また、相手の好意に対する礼儀、バツの悪さなどに気をくばるのも、立派な「親切」。

相手の善意のくい違いに対して、いつも理解と許しの心を準備しておきたいもの。

Do good because you are good.
善い人になるために善いことをするのではなく、あなたは善い人なのだから善いことをなさい。byヴァレンタイン・デ・スーザ神父

この言葉を信じて、私のお節介はやみそうにない。爆