パパ様 ツィッター ~ 4月 その③ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。


4月22日
Ogni incontro con Gesù ci riempie di gioia, quella gioia profonda che solo Dio ci può dare. イエスに会う度、神だけが私達に与えてくださる深い喜びに満たされます。


4月24日
Uno stile di vita sobrio fa bene a noi e ci permette di condividere meglio con chi ha bisogno. 簡素な生活はよいものです。助けを必要としている人と共に、よりよく分かち合うことができるようにしてくれるからです。


4月25日
Non dobbiamo mai lasciarci intrappolare dal vortice del pessimismo. La fede sposta le montagne!  私たちは、悲観的な渦に落ちたままにならないようにしなければなりません。 信仰は山を動かします。



4月26日
Nessuno può sentirsi esonerato dalla condivisione con i poveri e dalla giustizia sociale (EG 201). 自分は貧しい人たちや社会正義とは無関係だと考えることは、誰にもできません。(EG201)


4月28日
L’inequità è la radice dei mali sociali. 不平等は社会悪の原因です。


4月29日
Chi di noi può presumere di non essere peccatore? Nessuno. Chiediamo perdono a Dio dei nostri peccati.
私達の中で、自分は罪人ではないと、言い切れる人がいるでしょうか?誰もいません。神に私達の罪の赦しを求めましょう。

PapaFrancesco ‎‎‎‎‎‎‎‏@Pontifex_it 


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パパ様のツィート、お説教、アンジェラスのお言葉を聴き、誰もが、味わい、思い巡らしながら、噛み砕き、日々の糧としていることだろう。

ところで、昨年11月に出版されたパパ様の使徒的勧告書「Evangelii Gaudium」(喜びの福音)の日本語訳がまだ出ていないようだが、四旬節に地元パロッキアで黙想会のテーマとして数箇所ずつ毎週読んでいった。また、来週から月1ペースでミラノ外国宣教会の神父様と日本語で読んでいくことになった。

EGでは、教会と信者がすべての人々、特に貧しく病気の人々、蔑まれ、忘れられている人々と心を通わせるよう招いている。現代社会が抱える問題に対し、いかに係わるべきか考えさせられる。

また、EGの中で、「宗教とは個人的な領域にのみ限定されるのではなく、また天国へ導くために魂を準備するために存在しているわけではない。(EG182)」とあるが、教会、信仰がいかに現代社会に挑戦していくのか。信者としては、道徳的行為も、信仰の証として、信仰から生まれるものなのかもしれないが、逆の立場のものが、「もし、もらえるものはもらっておこう」という考えのみだったらどう対応しようか?それでも自分を無にしてさしだすもの、それが「愛」。頭でわかったつもりでいても、行動をする際、どうしても戸惑ってしまう。

自分の身を確保してからの善意。限界を感じる。自らが傷つかない程度に手を差し伸べる・・・。いやそれは、『愛』じゃない。所詮綺麗事にしか過ぎないのだ。見たくないものから目をそむけてないだろうか?身近な人間関係はどうだろう?家庭内はどうだろう?

相手のために自ら傷つく。これが真の「愛」なんだろうね。愛する心、お持ちですか?