アレルヤ! | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。


Happy Easter! Buona Pasqua!
この時期信者でなくても。上記言葉は挨拶代わりに使うが、「主のご復活おめでとうございます。」とはいわないわな・・・。

とはいえ、四十日の四旬節を超え、復活祭を迎えた。「トンネルの向こうは雪国だった」そんな感じだ。「死」と「復活」。「光」と「闇」。試練があってこそ、その恵みの大切さがわかる。

今日の「復活主日のミサ」は昨夜の徹夜祭に比べ、子連れがぐんと多かったせいか、お御堂もかなり埋められていた。やはり夜遅いと、子連れやお年寄りにもきつすぎるかも。さて、今日のミサのあと、出口で幼稚園生くらいの子供がおじいちゃんに「キリストの体はどうなっちゃったの?」と聞いており、はっとして思わず立ち止まり、おじいちゃんがどう答えるのか耳をダンボに澄ましてしまった。笑 「う・・・マンマミア!難しい問題だ!大きくなってカテキズモで要理を学ばないとな!」といっていた。だめじゃん、おじいちゃん。ちゃんと説明しないと・・・キリストは死んでも生き返るゾンビでもキョンシーではないし、奇跡をおこすということで、マジシャンの軍団と思われてはいけない。笑 たぶんそう信じていた人が、真実に気付いたときに、新興宗教に流れるのではないだろうか?(理想が高過ぎて、ただ苦しむ人ともいるキリストに落胆し裏切ったユダのよう?)

キリストの言葉は、信じるに値し、その言葉に私たちは活かされ、生かされるのだ。観念的なものではなく、生きたキリストとの出会いがなければ単なるワケのわからぬ宗教であろう。

ところで、イタリアでは、復活徹夜祭が夜の11時から火の祝福から始まり、ちょうど日付が変わるころ、「主の復活」が告げられ、アレルヤを歌い、鐘をならし(映像参照)、あ・・主が復活した!と実感したものだが、今年は1時間早い10時からのミサだったので、アレルヤを歌う際、思わず時計を見てしまったくらいだ。
https://www.youtube.com/watch?v=kfTPbAa5yj8

聖歌の練習の時は、あまり「グロリア」「アレルヤ」という言葉は使いたくない、というシスターの希望により、この曲だけ練習はしないできたが、数日前の練習だけ一度おさらいをすると、♪アレルヤ~という言葉のあと、鐘のかわりに聖歌隊メンバーのおじいちゃんたちが「カランカラン」「ジリジリ・・・」というので、???と思った。2度目のアレルヤでは、鐘の部分を「バタバタ・・・・」と足で足踏みを始めたから、は~???っと思ってしまった。3度目のアレルヤでは、鐘の部分をかぎ束をポケットから出して、振り出したから大笑い。イタリア人のおじいちゃんはいくつになっても、少年のような人が多く、いいねえ・・・と思ったものだ。笑

復活祭ご、わがパロッキアでは閉祭の聖歌は、「Cristo è risorto」。「主は復活した」という意味だが、メロディはなんと「ヒョー・ショー・ジョー」のテーマ、ヘンデルのオラトリオ<マカベウスのユダ>第3幕「見よ、勇者は帰る」である。
https://www.youtube.com/watch?v=Ata5Ryk1aF4

非常に晴れ晴れとした気分。

ところで、東京にいらしたイタリア人司祭・チェレスティーノ・カヴァニャ神父様が先週お亡くなりになられ、明日、東京カテドラル聖マリア大聖堂にて葬儀が執り行われる。また、知り合いの方が昨夜お亡くなりになられた。ろうそくは回りに光を与えながら、自分は消えていく。私たちの命も限りなく無条件に与えながら、見返りを期待しない人生でありたいもの。

神様の許に行かれれば、誰もが聖人。永遠の安息をお祈りしましょう。

http://www.tokyo.catholic.jp/text/diocese/oshirase/140415fuhou.htm