講師は、Itamaの会員でもあるT。チーム・ビルディング専門の講師で、ミラノ市のボランティア団体相手にも常に講演会を開催しているプロ中のプロ。
今年のテーマは「Relazione(つながり)」。(思わず、カリタス・ジャパンの四旬節の黙想の冊子「つなぐ」を思い出してしまった。)今回は、スタッフ27人出席。(2年前が18人、昨年が23人出席、確実に毎年出席者が増えている!)
まずはじめに、毎年恒例の自己紹介。今回は、フルネームでの自己紹介の後に、Itamaの生徒、そしてスパッツィオ・ビンビ(託児所)の子供でもいいので、思いつく人の名前を言うことだった。私は、一人だけ選ぶ、または思いつくなんてことは無理。今年度から協会の理事になり、毎年、スパッツィオ・ビンビの母子の名前、データ、画像すべてをまとめ、毎回「今日はどうでしたよ・・・」と母親に子どもの状況を報告をしているせいか、非常に母子との信頼関係を感じるだけに、過去に在籍していた子供も含め、全員の子供の顔が思い浮かんでしまう。
さて、はじめに二人組みのディスカッションから始まった。与えられた3つの言葉から思いつく言葉を出し合った。
Utente (利用者)Relazione (かかわりあい)Volontaria (ボランティア)
私がとっさに思いついたのは、パスワード。絆。喜び。なぜパスワードなのかは、自分自身意味不明だったが(!)2番、3番は私の理想と現実であると信じたい。
また、その仕事にかける責任感、満足感、(対生徒、対乳幼児に対する)経済的、文化的、宗教的意味合いと自分に感じる同様の意味合い、などを0から10までの数値で評価するといくつになるか?などなど・・・私自身、最良のものを捧げたいと思っても、うまくいかないことも多い。過去の経験でもあの時、こうしておけば・・・という思いはいくつもある。
その後、昨年同様ロビン・ウイリアムズ主演の映画を鑑賞。今年は、「パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー」の一部を鑑賞した。ロビン・ウィリアムズが、実在の医師に扮した感動ドラマだという。
シーンは、気難しい老人の病室を訪ねるところ。老人は、難しい数学の問題を解いているが、ロビン・ウイリアム演ずるドクターが、机の上でお茶がもれている紙コップにシールをはると、たちまち老人が心を開く。「問題ばかりみていると、答えが目に入らない」という。そして、4本の指をだし、何本に見えるかたずねるのだが、老人に焦点を合わせることで、指が8本に見えるようになる。焦点を変えると新しいものが見えてくる。・・・剣道の目付けのように、視線は相手の顔面につけるが、一点を凝視するのではなく、遠くの山を見るように相手の全体を見るようにするのと同様か?ある一部分のみを凝視すれば、心がその部分に捉われて他は見えず、然も相手の心の働きを察知できない。
その後も別のテーマの話し合い。あっという間の3時間半。それで、午前の部は終了。ランチタイムとなる 。今回は、地域レストラン・Trotterのオーナーのご好意によるケータリング。前夜、パイを焼いたので持って行ったが、メンバーによる持ちよりケーキがいっぱい!
後半は子供のころに遊んだ遊び、または自分の子供に与えた遊び、そしてItamaの子供や生徒たちにゲームを与えるとしたらどんなものが思いつくか?それはどういうものか?という提案。
私は、瞬間的にパズルを思い出した。子供のころ、何の絵のパズルをしたのかは、思い出せない。ただ、パズルの厚紙の裏に、私か弟がクレヨンでいたずら描きしたさまざまな色を記憶している。また、長女、次男もパズルは好きだった。現在スパッツィオ・ビンビにいる2歳のモロッコ人の女の子がパズルに夢中。ひとつのピースの周りに、どんな色、どんな絵がつながるのだろうか。好奇心、知育力、そんなものを引っ張り出すのが面白い。
多くの意見がで、またTによるチームとしての意義、尊重などが、さまざまなたとえ話に含まれて、吸い込まれるように進んでいく。
最後に、金色のリボンがだされ、一人一人がこの研修会で感じた思いを分かち合い、リボンを結び、次の人に回していきましょう、となった。もちろん発表は義務ではないので、無理せず「Bum!」といってまわすのも可能。
私の番は、ほぼ最後の方に近かったので、糸を引っ張りながらの発表だったが、「他者に心を開く。特に、自分とはまったく違った意見、バックグラウンドのある人に心を開き、受け入れること。違ったヴィジョンを持つことに慣れるのも大切」だと感じた。そうでないと進歩できないし、意外にそういったことで、自分を客観視できることもあるかもしれない。
ある一人のスタッフが、「自分はもっと軽くなるべきだ」と意見していたことが印象的だった。芯は温かいのだが、本能的に意見をするので、人とぶつかりやすく、それが理解しあっている仲間との間の出来事ならともかく、そうでないと、人を傷つけ、最終的に彼女が傷ついているのを何度も見ていたからだ。
人は、かかわりをもち、受け入れ、受け入れられていくことで、つながっていく。その糸は、たるみ、またひっぱられてつっぱり、時に、外れてしまうこともあるだろう。それでも画像のように、つながっていく・・・。自分で断ち切ってはいけない。ちなみに、講師Tはその前日、ミラノの大学生250名を相手に、同じ体験をさせたという。
他者のために自らを捧げる。それは暇人のすること。自己満足に過ぎない。と思う人もいるかもしれない。しかも、そう思うのは、きっと経験のない人だろう。与えることによって与えられる。そういうことは、なるべく特に若いうちから経験しておくべきだと思う。
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