クリスマスのプレゼント | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

先日、ある女子会で、子供の頃、どんなクリスマス・プレゼントをもらっていたか?という話が出た。 

私は、全く記憶にない。もしかすると、年始が近いから、お年玉と一緒にしてもらい、自分で好きに使うようにしていたのだろうか?とはいえ、私はけちな性分なので、使わず貯金していたかもしれない。笑  

そして、クリスマスは、いつもケンタッキー・フライド・チキンとどこか家の近所のケーキ屋さんにケーキを予約していた。ちなみに誕生日はサーティーワンのアイスクリームだった。「どれも、テーク・アウトじゃん!」と友人に言われたが、私の母は、お菓子もよく作っていたし、なんでも手作りをしてくれていた。逆に特別な日には、出来合いのテーク・アウトというのが、贅沢な時代だったのかもしれない・・・。今は、「贅沢さ」も微妙に意味合いが変わり、昭和の時代とは違った「便利さ」が先なんだろうな・・・ 

ところで、今時の、中高生の誕生日プレゼント、クリスマス・プレゼントといえば、携帯電話とかiPad,iPod、洋服のようだ。先日、夫が子供たちを連れてアウトレットに出かけて行った。きっと好きなものを買い与えたのだろう。(私には何もないのに!) 夫が私に「次男に聞いても何もいらないというが、どうしたらいい?」と電話をしてきた。彼には、ジーンズやチノパンをはかせたいのだが、1,2歳上のサイズでは、お腹が入らない。だからといって、ジャージやスウェットばかり好んで履くので、特別の日には、困ってしまう。しかし、本人が嫌がるので、新しい服は買えなかったそう。笑 まだ、サンタ・クロースを信じている次男。彼には、希望通り「遊戯王カード」を準備しておいた。 

話はかわり、先日友人夫妻はある映画を観て、ふたりでぼろぼろ涙したというので、私も観てみた。 

「Prescious」というアメリカ映画で、80年代後半のニューヨーク・ハーレムを舞台に、過酷な運命を受ける16歳のアフリカ系アメリカ人の少女の人間ドラマ。 

主人公プレシャスは、義父から性的暴行を受け、2度妊娠・出産。また、本来守ってくれるべき実母からも、娘に嫉妬して虐待し続けられる。貧困・虐待・出産・・・耐え難い人生の中で、いかに人生に希望を見出していけばよいのか・・・教師とソーシャル・ワーカーに支えられ、それでも、誰にも自分は愛されていない。誰にも必要とされていない、と泣く少女に、あなたの子供はあなたを必要としているし、愛しているの。私もあなたを愛しているわ、と教師の言葉に号泣してしまう。 

2009年1月のサンダンス映画祭でプレミア上映され、最高賞にあたる審査賞グランプリと、観客賞など3部門で受賞しているが、やはり重く、考えさせられてしまう。 

また、先日、カトリック新聞で、「刑務所の中の中学校」という記事を読んだ。その年齢で刑務所に入っているのだ。悪事を働いた結果なのだろうが、そのような低年齢の子供たちがなぜ悪事を・・・と思う人も多いことだろう。 

>「彼らは、生まれてから、人から愛された経験が少なく、いつも人から『ダメな人間だ』と言われ続けてきた者たち。邪魔者扱いされ、居場所がなく、親からも見離され、小・中学校にも通わせてもらえなかったなど、本当に恵まれない環境で育った人がほとんどです。中には、両親の顔も名前も知らない、戸籍がない人もいました」と少年刑務所内中学校の教官。 

>教育とは、「希望を語ること」、そして「気付きを待つこと」。学ぶとは、「生きる力を養うこと」だと再び上記教官。 

クリスマス・プレゼント、誕生日プレゼント・・・。 
人間が本当に必要としているのは、誰か、人の存在、「プレゼンス」なのではないだろうか? 

また、ギフトってなんだろう? 
Be a gift to yourself. 
はじめてカトリックの勉強会に出たときに、書いたメモの1つ。 

私たち一人一人の存在は、神様からの贈り物。 
美しさ、神秘のかたまり。相手の美しさ、命の神秘に気づくように。自分の中にある神様の息吹を大切にしたら、他人の中にある神様の息吹も大切にできることだろう。 

周りの人々から大切にされること、優しくされることを意識してみよう。また、その逆も考えてみよう。これほど、大きなプレゼントはないはず。