パパ様 ツィッター 8月 ~ その② | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 8月13日 

Essere figli di Dio e fratelli tra noi: questo è il cuore dell’esperienza cristiana. 神の子となり、我々の間で兄弟姉妹になること、それはキリスト者の経験の中心です。 


8月15日 
Maria, Madre di Dio, prega per noi peccatori, e guidaci sulla via che conduce al Cielo. 神の母、マリア、罪深い私たちのために祈ってください。そして、天に続く道へ導いてください。 


8月17日 
Non possiamo dormire tranquilli mentre bambini muoiono di fame e anziani non hanno assistenza medica. 子供たちが餓えに苦しみ、高齢者が医療援助がない状況では、我々は穏やかに眠ることはできません。 


8月19日 
Non possiamo essere cristiani part-time. Se Cristo è al centro della nostra vita, Lui è presente in tutto ciò che facciamo. 私達は、パートタイムのキリスト信者であってはなりません。もし、キリストが、我々の生活の中心であるならば、私達の行うことすべてにおいて、彼が現存しています。 


8月21日 
Un ottimo programma di vita per tutti noi: le Beatitudini e Matteo 25 
私達すべてにとって人生の最良のプログラムは真福八端とマタイ25章です。 



8月中旬におけるパパ様のツィートは、キリスト者として、大切なことを教えてくださっている。また、今日発信されたツィートの「真福八端」はいわゆる「山上の説教」、「山上の垂訓」とよばれるもの。イタリア語では「Beatitudine」とよばれ、「至福」、「深い幸福」という意味。 

『心の貧しい人は幸いである、天の国はその人たちのものである』 

非常にわかりづらい。笑 別に『貧しい人』は貧乏ということではなく、「霊的」に貧しいひと。つまり、『謙遜』ということ。人は傲慢になってしまうと、富や権力に依存するようになる。 

また、マルコによる福音書の25章とは、「10人のおとめ」のたとえであるが、以前自分で、日記を書いていたことを発見。(下記URL参照) 

人生の指針となる聖書の上記箇所は、祈りを添えて、大いなるものに委ねることを、教えてくれる。 

毎回パパ様のツィートを読み、冷や汗をかくことも多い。忘れても、間違っても、やり直そう。反省する習慣が大事。(開き直り?!) 


Papa Francesco ‏@Pontifex_it 


http://www.pauline.or.jp/catechism/catechism128.php 
http://blog.livedoor.jp/s_sofia1317/archives/50810087.html