便利すぎる中の不便さ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今年の秋で、在伊20年になる。 
それまで、実家生活だった。当時、父はまだお勤め中で、毎朝5時半起きで6時に会社に出かけていたが、私の出発の日、仕事へいく前に、「じゃあ気をつけて。」と一言いって送り出すというか、出社していった。 

その後19年、18回もしくは、それ以上?(2011年の震災のあった年のみ帰国せず)帰国の旅に、両親は仕事を調整し、成田空港まで出迎えに来てくれた。 

入国審査云々をパスし、自動ドアを抜け到着ロビーへ進むと、必ずカメラを向けた父が立っていた。シャッターチャンスがなかなかつかめず、こちらも子連れでずっと立っている。笑 出発の時も同じ。 

実家へ向かう車の中では、母の手作りのおにぎりとペットボトルのお茶やジュースを飲み、機内でのことや、子供の成長などを話すのが恒例だった。 

ここ数年、父の車の運転は、ブレーキを踏むタイミングも徐々に遅くなり、黄色信号でも渡り続け、まして長距離など運転していない。昨年の帰国の際は、成田までの出迎えは必要ないから、と前もってお願いしていたけれど、ゆっくり運転していくから・・・といってやってきた。けれど、実際は怖かったようだ。出発の際は、バス代を払うから、自分たちで空港に向かってくれ、といわれた。もちろん、そのほうが私も安心だ。その後、父は車を手放した。 

今年は、初めて出迎えのない帰国だった。なんか寂しい。 
いずれにしても、夜遅い便で、シャトルバスも終了しており、羽田着だったから良かったけれど、タクシーで帰宅。不思議な感覚だった。 

滞在中、買い物もすべて徒歩。 
子供の頃は、いつもそうだったんだ、と思い出す。父が車の免許を取ったのは、40歳になってからだった。 

この20年間今、過保護にされ過ぎていたんだな、と思う。 
長女・長男を帰国し、出産。やれ、陣痛だ、やれ、退院だ。救急病院へ走りこむのも、いつも父の運転だった。 

小さいのでいいから、車が欲しい・・・と父が言っていた。やはり、一度便利さを知ってしまうと、それを失くすことは非常に不便だし,寂しいものなのかもしれない。 

たかが、車。されど、車。 
そして、今では当たり前の携帯電話のある生活。日本で使える携帯電話を持っておらず,出かけるたびに,公衆電話を探さないといけない。一時帰国レンタルというのを予約してくればよかったな。出先で、連絡手段が手元にない不安・・・。 

生活の進歩は、「ない」と時に人を不安にさせるものらしい。特に,性別的には,男性よりも女性。都市規模的には、大都会の人の方が、そういう傾向が強いらしい。 

不便だ・・・ 
帰国第一の感想。 




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