聖霊の息吹 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

イエス・キリストは復活後、40日後の木曜日に昇天(Ascensione)し、その10日後の 日曜日に聖霊が下った(聖霊降臨)とし、今年はその昇天が昨日5月9日で、聖霊降臨は19日日曜日とされている。聖霊降臨祭は、「Festa delle Gente」とも呼ばれ、イタリアでは大きなミサやフェスタが行われる。

ちなみに、今度の土曜日がわがパロッキア(教区教会)では、La Cresima(堅信式)が 行われ、聖歌隊として出席するが、とにかく、ずっと「聖霊よ来てください」というラテン語、イタリア語のフレーズの聖歌のオンパレードである。

聖霊をイタリア語では、Lo Spirito Santoという。
ここ数日の、教皇様のお説教や一般謁見、その他ツィッターではやはりこの聖霊に触れるお話が多い様子。「この聖霊の存在なしには、キリスト教徒の生活は理解できない」とあった。

ところで、聖霊とは何であろうか?
聖霊とは、キリストによって遣わされるものに「息づく力」だという。主の復活の証人として派遣された弟子たちは、聖霊の息吹により、神のはかりしれないご計画を悟った。弱い、罪深い人間の集まりであっても、その弱さを強さにかえ、一つに集めてくださる神の恵みを彼らは体験した。神のはかりしれないご計画の体験は、やがて彼らの確信となり、この確信こそは、教会誕生の源、福音宣教の原動力となり今も引き継がれている。

教会はこの聖霊降臨祭の出来事を毎年記念することにより、私たちが聖霊をいただいていることを意識し、また聖霊の働きによって、霊の実が見える教会共同体として成長しているかどうかを確認するときでもある。

>聖霊がわたしたちの心にもたらす貴重な贈り物、それは神の命そのもの、真の子としての命、信頼と自由、神の愛と憐れみにおける信頼関係です。

>聖霊はキリストの眼差しをもって見ること、キリストが生きたように生きること、人生をキリストが考えたように考えることを、わたしたちに教えてくれます。聖霊はわたしたちが神から子として愛され、また神を子として愛せること、神の恵みによってわたしたちがイエスのように神の子として生きられることを教えてくれます。

>聖霊は言います。神は愛です。神はいつもわたしたちを待ってくださいます。神は父であり、わたしたちを本当のお父さんのように愛してくださいます。わたしたちを本当に愛しておられるのです。聖霊が心に語りかけているのはこれだけなのです。聖霊に耳を傾けましょう。聖霊の声を聞き、この愛と憐れみと赦しの道を歩いていきましょう。 (教皇一般謁見、カテケーシスより抜粋)

また、旧約聖書の『創世記』では、

神は御自分にかたどって人を創造された。
神にかたどって創造された。・・・・
...主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形つくり、そも鼻に命の息を吹き入れられた。・・・・とある。

「かたちどる」とは、「形」だけのことか?それとも「生き方」も含めたことなのか?

聖霊の息吹の器になるようにしましょう。聖霊の働きによって
心の器が大きくなり、神様の息吹の中に生きるようになります。 
神秘に触れることによって、悟りが開けてきます。            
自我を削って、神様を中心にして悟っていきましょう。byヴァレンタイン・デ・スーザ神父


カトリック信者の、そして人間としての生き方を問われている気がする。聖霊の息吹を感じる心を持とう。

聖霊の続唱

聖霊来てください。あなたの光の輝きで、
わたしたちを照らしてください。
貧しい人の父、心の光、証の力を注ぐ方。
やさしい心の友、さわやかな憩い、ゆるぐことのないよりどころ。
苦しむ時の励まし、暑さの安らい、憂いの時の慰め。
恵み溢れる光、信じる者の心を満たす光よ。
あなたの助けがなければ、すべてははかなく消えてゆき、
だれも清く生きてはゆけない。
汚れたものを清め、すさみをうるおし、受けた痛手をいやす方。
固い心を和らげ、冷たさを温め、乱れた心を正す方。
あなたのことばを信じてより頼む者に、尊い力を授ける方。
あなたはわたしの支え、恵みの力で、救いの道を歩み続け、
終わりなく喜ぶことができますように。
アーメン。
「聖霊の続唱」(カトリック中央協議会)
 


http://ja.radiovaticana.va/news/2013/05/08/