4月15日は私の洗礼記念日。
2006年に受けたので、まだ7年しか経っていない。とはいえ、私の回心は聖パウロのように劇的ではなかったものの長い長い道のりだった。
子供のころから教会学校で英語を学び、プロテスタントの学校でキリスト教概論やらキリスト教倫理を学び、礼拝にも出、野尻湖畔でのキャンプは大きな思い出。朝の森の中での礼拝は、山上の説教を思い出すものがあった。けれど、どれも知識レベルで止まってしまい、信仰にまでは至らなかった。
夫のローマ駐在時代、体を壊し一時単身帰国。その時、友人の紹介で通い始めたのが、当時麹町教会にいらしたイエズス会のヴァレンタイン・デ・スーザ神父様の聖書教室。たちまちヴァレンタイン神父様の静かな口調を通し、キリストの言葉が生きて、私をいやし始めた。ローマにもどり、すぐに日本人に聖書を教えていらした、B神父を訪れた。一度一時帰国で日本行きの飛行機で神父様にお会いしたことがある。当時長女は1歳前後だっただろうか?Mちゃんは、重かったよね・・・あれから何年経っても同じことをおっしゃる。笑
そして、ミラノに移り、長男が幼稚園に入ってから、現在も通うシスターMのところをたずねた。罪深い私が神様の前にはとても出られない・・・そんな思いをぬぐうのに、どれくらいかかっただろう。それが、不思議なことに肩を押されるように、受洗の話がきて、本来は2年はきっちり要理を勉強しなくては、いけないのだが、すぐに洗礼の日が決まった。
その後、毎年、ミラノの日本人が数人ずつ復活祭前夜に受洗。その度に、共に祈り、私の信仰の約束も更新されていった。自分が洗礼を受けた日のことを思い起こしつつ、信仰宣言を一同で唱えるのだ。気づくと、今年は、同じ日本人グループで洗礼を受ける人はおらず、また私が通うパロッキア(教区教会)にも受洗者はいなかったので、改めて自分の洗礼記念日思い出した。
信仰をもつと艱難がなくなるものではなく、周囲の状況が少しも変わらずとも、自分自身に艱難を乗り越える力が与えられる。そして、深い平安と感謝を与えて頂ける、というが、人間関係においては、心が落ち着かないことも多々ある。とはいえ、絶えず私は一人ではない、という心の支えがあることは素晴らしい。どうしても合わない人もいれば、同じ信仰をもつことで、絆が強まった友人関係もある。 言語にかかわらず分かち合いができる友人を持てることはありがたいこと。
昨年のミラノにおける世界大会・Family2012にボランティアとして参加し、私自身の何かが変わったような気がする。その後、パロッキアの聖歌隊に誘われ、Familyとのメンバーとも交流はつながっている。「信仰年」において、祈りや信仰生活を分かち合える仲間がいるのは、素晴らしい。15日は、彼らと10か月ぶりに再会する。
自分の中を見つめることは難しいが、人とのかかわりあいの中で見つめていければ・・・と思う。忍耐、愛、新しい命(常に命は改められるということで)という尊い価値を守り続けるよう祈りたい。また、私のために祈ってください。
神に感謝!