聖金曜日 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

昨日は、復活祭直前「聖金曜日」だった。
 
朝から「メサイア」を聞き、午後には、M.ギブソン主演の映画「Passion」を観た。
   
去年も書いたが、「聖なる三日間」は、一日の境目が日没時という当事のユダヤ暦の考えに従って区切られているので、キリストが亡くなられたという3時頃に行われる「主の受難」の祭儀は本来一日目に入る。
 
3時から始まり、ことばの典礼として、イザヤ書朗読。
その後、「主の受難」として、ローマ典礼ではヨハネの福音書を朗読するが、ここミラノでは、アンブロジアーノ典礼なのでマタイによる福音書27章1-56節と決まっている。
主が息を引き取るところが、丁度午後3時半ごろに当たるだろうか。そこで皆、ひざまづき、お御堂の明かりも消え、同時に鐘がなり始める。そして、祭壇の布がすべて取りはがされた。
 
その後、主任司祭による簡単な説教があったが、急に寒気がして、頭が朦朧としてきた。よって説教の内容は飛んだ。笑 ここのところ、めちゃくちゃ寒いミラノ。出先で何度も雨に遭い、濡れて帰宅することが続いた。ちなみにおとといの「聖木曜日」のミサも寒くてたまらなかった。真冬に舞い戻った感じだ。
 
続き、十字架の崇敬。この日は、聖体拝領は行われないが、行列になって一人ずつ横におろされた十字架上のイエスをあがめる。今年は聖歌隊に加わったため、閉祭後に伺った。
 
そして、共同祈願。全教会、全人類(ユダヤ教の人々の為、キリストを信じない人、また神を信じない人、国を治める人々や困難に直面する人々、そして死者)の為にも祈った。昨年もそうだったが、 昨日の献金は、イスラエル、ヨルダン、キプロス、パレスチナ自治区内にある数多くの巡礼所、聖堂などの維持管理や、聖地の貧しい人々のためなどに使われるそうで、全世界の教会から集められたようだ。ちなみに、前々日のミサの献金は、病気の聖職者のために使われると報告があった。
 
夜も地域を行列に参加予定だったが、ここ数日、出かけ先で雨にあい、濡れて帰宅。木曜日のミサも寒くてたらまず、ぶるぶる震えてしまったので、断念。家でフランチェスコ教皇による、ローマ・コロッセオにおける「十字架の道行」をみた。
 ローマもやはり寒そうだった。気がつくと、パパ様も白いコートを羽織られていらした。
 
 «Dio ha parlato, ha risposto, e la sua risposta è la Croce di Cristo: una Parola che è amore, misericordia, perdono».

キリストの十字架とは、愛・憐れみ・許し、という言葉である。
この憐れみ、Misericordiaとは、なんと美しい言葉だろうか。日本語では、どうしても「かわいそうに思う心」または「同情」と取られがちだが、ラテン語のmisericors は、misereor (憐れみ) と -cordis (心)という言葉からできている。無限の見捨てない愛、なんじゃないだろうか。

«è anche giudizio: Dio ci giudica amandoci. »
(そして十字架は)また、裁きである。神は、私たちを愛しているとみなされた。
パパ様は、原稿から顔をあげらえ、上記の言葉を繰り返された。

また、昨年9月、ベネディクト16世名誉教皇がレバノンを訪問し、若者との集いをもたれたが、今回の十字架の道行では、そのレバノンの若者たちが従者を務められた。
 
いよいよ今晩は復活祭前夜祭。皆さんの上に神様の祝福が豊かにありますように。

聖金曜日の詳細はこちら。
http://blog.livedoor.jp/s_sofia1317/archives/50625048.html
http://www.pauline.or.jp/calendariocappella/cycle0/good_fri.php