祈りの連鎖 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

先日、福島の子供たちに転地療養プログラムを立てている協会・オルト・デイ・ソーニへ協力するためバザーを開催した。金額は微々たるものかもしれないが、何かしらの形で、福島の子供たちに関与できることは、嬉しいこと。どんと、大金を寄付する人もいるかもしれない。でも大切はものは、目に見えないし、量でわかるものではないだろう。 


私は、年に数回おこなうバザーのために、暇さえあれば、手を動かし何かを作るか、教えるなりしてきているが、自分の時間や気持を誰かに捧げるというのは、大切なこと。もちろん、そんなこと、口にすべきでないし、ましてやブログになんか書くことじゃないだろう。笑 最終的には、お天道様がご存じならば、それでいいのだから。ただ、今回感じたのは、祈りは連鎖するということ。誰かに大切につかってほしい、気に入ってほしいと願いながら作るものは、やはりみな大切にしてくれているということ。また、購入した人も、その商品を通じ、福島の子供たちを思い出し、祈ってくれるといいと思う。もちろん、手作りの商品にかぎらず言えることだが。


ところで、バザーの当日、私はDASという粘土を購入した。普段だと3.5ユーロくらいして、使っても結局、最後はわけわからないものになって捨てられてしまうことが多い子供たちの作品。先日、DASをほしがる次男に小麦粉と塩と水でつくる粘土をこねさせた。学校から帰宅し、寝るまで、夕食の時間さえ惜しみずっとこねていた。土器?鉛筆たて?わけわからないものになっていた。その直後、バザーでDASが50セントで出ており、2つ購入。偶然家にクレイ・アートの本があることを思い出し、見せると夢中になってDASでバラを作り始めた。 

バラはイタリア語でローザというが、同じ名前の担任にプレゼントするんだとバラを作った次男。すでに、65歳で、現在小3の次男たちが卒業する時、定年、年金生活にはいるようだが、昨年から体を壊しがちでよく休んでいる。一日目は休み。クラスメートにあげてしまったという。2日目、他のクラスメートもほしいというので、2個プラス再びローザへ作ったが、また休み。また、他の子にあげてしまったようだ。連休に入る前には、完治せず。またこの休み中に作るのだろうか?


どういう心で作ったかが大切なんだよ、と次男にいうと、ふんふんうなづいていた。


私たちは人の助けを借りて生きているのです。自分のためにだけ祈っているのでは足りません。それに、ひとのために祈らなければ、だれがあなたのために祈ってくれるでしょうか。byヴァレンタイン・デ・スーザ神父


お金ではなく、私たちがもっている才能、良いものを誰かのために捧げ、喜びを与えられるのなら、それにこしたことはないだろう。無条件でしたことは、いつか何らかの形で自分に戻ってくるだろう。


http://blog.livedoor.jp/s_sofia1317/archives/50764764.html