昨夜、ヴァチカンに雷がおちる画像が新聞に掲載されていてびっくり。
ちょうど先週,勉強したばかりの詩篇が頭をよぎった。
ダビデの歌 (詩篇28章)
1 神の子らよ、主に帰せよ、栄光と力とを主に帰せよ。
2 御名の栄光を主に帰せよ、聖なる輝きに満ちる主にひれ伏せ。
3 主の御声は水の上に響く。栄光の神の雷鳴はとどろく。主は大水の上にいます。
4 主の御声は力をもって響き主の御声は輝きをもって響く。
5 主の御声は杉の木を砕き 主はレバノンの杉の木を砕き
6 レバノンを子牛のように シリオンを野牛の子のように踊らされる。
7 主の御声は炎を裂いて走らせる。
8 主の御声は荒野をもだえさせ、主はカデシュの荒野をもだえさせる。
9 主の御声は雌鹿をもだえさせ 月満ちぬうちに子を産ませる。神殿のものみなと唱える。「栄光あれ」と。
10 主は洪水の上に御座をおく。とこしえの王として、主は御座をおく。
11 どうか主が民に力をお与えになるように。
詩篇は旧約聖書にあり、ほとんどがダビデ王が残した詩である。
人間の恨み、つらみもあるけれど、自然の美しさ、そして天地創造の主である神をほめたたえている。
この28章は、雷鳴から神の栄光を見ているという。
もともと、ヘブライ語の「 qol」ということばは、「声」「雷」という意味もあるそうだが、面白いのは、日本語の聖書には「主の御声」と訳されているけれど,イタリア語では「雷鳴」となっている。
ちなみに、そこでは、その「声」または「雷」が7回出てくるので「七つの雷鳴」(Sette tuoni)とも呼ばれている。もちろん、雷が神の声、そのものといっているわけではなく、「力」や「威厳」を表現しているのかもしれない。
また、日本語訳では「もだえる」という言葉が何度も出てくるが、イタリア語訳では、「ゆさぶる」という単語を使っている。
そして、洪水は、「ノアの箱舟」を思い起こしてしまう。
洪水の混乱、混沌のあと、空にかかる虹が人々に,平安と希望を与えるのだろう。
昨日からミラノは大雪に見舞われていた。どうしたものか、今朝は頭を抱えたが、今回は、雪かきに余念がなくお昼までにどこも歩道は綺麗にされていた。今日はマルテディ・グラッソ。カルネヴァーレ最終日。そして、いよいよ明日から四旬節。(ミラノは日曜日からだけど)
"かいしん"(回心、改心、開心)はとても難しいけれど、祈りを通して恵みのうちに可能。心の影を消していただくことは,自分の小ささを認めない限りできない。
よい四旬節を!