寛容さ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

 

今年の書初めは、自分に対する戒めとして、「寛容」と「忍耐」という言葉を書いた。私にとっては、「寛容」さと「忍耐」は2つで一組。 


さて、この2,3日書いた日記を読み返し「寛容」さについて考えてみた。 
寛容さというのは、端的には「差異を許容する」こと。もっとわかりやすくいえば、「他者を受け入れること・理解すること」ではないだろうか。 

社会は個人の集団。「寛容」な社会にするためには、まず寛容な個人が増えることが重要であることは間違いない。では、どうすれば寛容さを得ることができるのか。 

寛容でない社会では人は子供のころからある一定の文化圏の中に閉じ込められて育ち、差異を許容することはおろか差異を目にすることも少ない。彼らが大人になってから差異を許容できるとは到底思えない。 

たとえば、 
他人に迷惑をかけないならばいい。 
君の事は排除しないし、好きにしていい。 
・・・こういったことは、寛大さでもなく、ただの「無関心」だろう。 

ところで、ヨーロッパには、いろいろな国籍の人種が移住している。 特に,イスラム教徒系のブルカ着用禁止は、フランスを始め,ベルギー,オランダが並んだ。ブルカは、イスラム教の女性が着る衣装で、全身を覆う服。そして、ニカブとは、目以外を覆う服。たしかに、アラブ人が多い,ここミラノでも二カブを着ている人は少数。(アンチ・ブルカ案はここミラノでも2011年にでたが、その後どうなったかはよくわからない。) 

その背景は、本人確認がしづらい。また、女性抑圧のシンボルだ、という見方もある。確かに,以前パキスタンで、ブルカを来た女性が自爆テロを行った事実もあるので、洋服の下に何を隠し持っているかわからない・・・という疑惑も持ち始めたらきりがないだろう。でも、彼女達は本当に抑圧されているのだろうか? 

再び、話が飛ぶが昨年6月に出版されたNewsweek「日本版」で「外国人に優しくない国ワースト5」に日本が2位になっており、びっくり。 

http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2012/06/post-2598.php?fb_action_ids=10200391025248589&fb_action_types=og.likes&fb_source=aggregation&fb_aggregation_id=246965925417366 
確かに、24,5年前に、まだ東京で働いていた頃,仕事で東京入管へ出かけたことがある。単にクライアントのヴィザ申請のため,上司の弁護士に代わって出かけたのだが,どうもアジア系の外国人に間違えられたようで,非常に嫌な態度をとられたのを覚えている。上司の名刺をだして、すぐに態度が変わったのには,非常に違和感と憤りを感じたもの。 

そして、イタリアでは、滞在許可証を申請するのは、内務省管轄の県警察本部。 20年前、まだイタリアに来た当時の滞在許可申請は、汚いものを見るような扱いをされた覚えがある。今でこそ、永住許可証をもち、日本人は書類提出に関しても、間違いないとお墨付きで,昨年長女の永住許可の件で、出頭した際も,不足した書類に関して,あとからファックしてくれればいいから、と送ることを前提に手続きを進めてくれた。それはある意味信頼関係だと思うが、どの外国人に対しても同じということではないだろう。 

様々な集団の中で共存していく場合、その差異を認めるということは、最終的には,相手を受け入れること、つまり自分をしらないと出来ないこと。寛容という美徳は困難なだけに高貴な徳なのかもしれない。 

神よ、 
変わるものについては、それを変える勇気を。 
変わらないものについては、それを受け入れる寛容さを。 
そして、変わるものと変わらないものを見極める知恵を、我に与えたまえ。 
(ラインホルト・ニーバーの祈り) 



http://ameblo.jp/sofiamilano/day-20110319.html 
http://okuramasafumi.com/2011/10/30/on-tolerance/