挨拶 ~ 和顔愛語 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

昨日の朝日新聞の『声』欄で、最近は、挨拶のできない子供が多いと書かれていた。確かに、我が家の子供たちも、実際外で挨拶ができているのかどうかは、あやしい。 

ラジオ体操で、母の友達(やはり70歳代)も出席していることがわかり、違う場所であった時次男に「明日声をかけるね。」といったら、「友達がいるから声かけないで」といったという。は~?!友達の手前、おばあちゃん(いや失礼、おばちゃん!)恥ずかしいってこと?! 

それでも、2日目、3日目あたりから、自分から挨拶しはじめたようで、「○○さんに、挨拶してきたよ~」といってきた。まさに、新聞に書かれていたような内容だった。挨拶できないのも、恥ずかしいってこともあるだろう。けれど、大人でも挨拶できない人が、多いのだから、困っちゃう。 

挨拶は人の生活の基本でしょう?! 

ところで、和やかな笑顔と優しい言葉を仏教では、「和顔愛語」というのだそうだ。 

何も持たずとも、笑顔によって人の心を和ませることができる。とても大切な布施行だと仏教では教えているそうだ。 

なんといっても、挨拶は人と人とのコミュニケーションの最初の行為。言葉だけでなく、笑顔もうそう。本来そういった挨拶は、自分の心を相手に対して開いているということを示すもの。それが、今では,下手に人に微笑みかけたり、声をかけたりすると、気味悪がられたり、不審者がられるかもしれない?難しい世の中になってしまったというのも問題なのだが、だからこそ、人と人とのつながりも薄れてしまったんじゃないだろうか。 

心が閉じているということは、人とのつながりを拒んだり壊したりすることにもなりうる。 

イタリアでも、幼稚園や公園、いつもいくスーパー近辺・・・こちらから挨拶をすれば、挨拶を返すけれど,自分からは絶対してこない人もいれば、いきなり自分から挨拶してきたと思うと,気分屋で次にあうと、まったく無視する人もいる。もちろん、これは国民性とは関係なく、日本にいても同じことがあるだろう。 

気持ちよく人と付き合うためにも、挨拶しようよ。 

一家の盛衰は笑顔できまる。 
笑う門には、福来る。