郷に入れば郷に従え ~ いいわけ | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

その土地やその環境に入ったならば、そこでの習慣ややり方に従うのが賢い生き方で ある。とあるが、イタリアに住んで許せないし、絶対まねしたくないのが、イタリア人の言い訳。 

子供には、「だって」「でも」・・・言い訳となるようなことは、絶対しない!と教えてきた。でも、こちらイタリアではそれは、生きていくうえでの術?なのである。 

先日の長女の現地校の担任との面談では、「お宅のお子さんはストレートすぎる」といわれた。しかも、 今回が初めてではない。聞いてみると、宿題を忘れたり、教科書やノートを忘れると、普通の学生は言い訳をするのに、ストレートに「しませんでした。」「忘れました。」というんです、という。「Allora?(だから何?)」と思ったが、言い訳をしない子はふてぶてしい、といっているように聞こえる。 

日伊ハーフのご家庭の友人にそれを話すと、やはり「うちの子も言い訳をしない分、よく思われていないみたい」といっていた。担任の前で、日本人の(少なくとも、我が家の)子育て論をぶちまけておくべきだったか?爆 

ところで、数年前には、イタリア人の学生の遅刻・欠席言い訳集(L'alunno giustifica l'assenza)が本になってしまったほど。

「L.は校庭で派手な色模様の蝶々を追いかけて道に迷い10時15分に登校した」。 
「3月8日の欠席理由。ミモザを買う花屋の列があったため」。(3月8日は、イタリアでは、「女性の日」でミモザを贈る習慣がある)。「A.は数日を祖父の世話で過ごした。彼の言い分によると、彼の祖父は以前から潜伏者で、公の場に出られない」。などなど・・・ 

また、まだ記憶に新しいイタリア中部ジリオ島沖で起きた大型クルーズ船「コスタ・コンコルディア号」の座礁事故では、イタリア人船長は、乗客を船上に置き去りにして先に船を離れたことを認めたうえで、自らの意思に反して岸へ運ばれてしまったと供述。なんと座礁した船の上で転び、 偶然、救命ボートの中に落ちたと驚くべき言い訳には、首をかしげながらも大笑いしてしまった!! 

話は基、長女になぜ言い訳をしないのか?と聞くと「面倒くさいから」という。確かにストレートだ。笑 理由もなく、忘れたり、遅れたりするのなら、やはり理由はないし、敢えて嘘をついたり、理由をつくることはないだろう。そういう意味では私も同じ。勝手に、相手が私の言動を微妙に取り違え、何度説明しても毎回微妙に取り違える人がいる。(意図的か?)決して自分を正当化したいわけではないが、話を捻じ曲げられるのは気に食わない。けれどあまりにも思い込みが激しく、毎回話がかわってくると、それこそ面倒くさくなり、言い訳(する必要もないし、存在しない!)も返答さえするのが嫌になることがある。挙句の果てに、私が嘘をついている! といわれた時は、あきれてものも言えなかった。そうなると、もう私の問題では なく、相手の問題なんだけど・・・。 

「人生を変えたかったら、今すぐ始めなさい。はではでしく大げさにやりなさい。例外はなしです。そして、言い訳はしないこと。」(byウィリアム・ジェームズ・アメリカの心理学者・哲学者) 

言い訳も、はではでしく大げさにするのも、イタリア人の好きなことかも。笑