一昨日11月19日は、私の代母でもあり、指導者でもあり、母でもあり、友でもあり、姉でもあるシスターの77歳の誕生日だった。
毎月第3日曜日に行われる日本人ミサでは、ミサの後に、シスターのお祝いをしましょう、とシスターには内緒でよびかけ、花束やお祝いのカードの準備を進めていた。
生憎、昨日のミラノはBlocco Totale.交通規制で車での乗り入れは禁止だった。郊外にすむ人たちは、ミラノ市ぎりぎりのところまで車で来たり、自転車できてから、公共機関を利用しやってきた。
なんで80歳のお祝いじゃないの?とイタリア人。
「喜」の草体が七十七のように見えるためだそうだが、人生毎日喜んでいるのは、難しいかもしれないが、そういう気持ちを持つ事は大切。
シスターとは、早9年の付き合いだが、ここ数年、「私の命は毎日、一滴、一滴しずくのように落ちていっているけれど、いつでも神様の下にいける準備は出来ているんですよ。」というようになった。いやですよ~シスター。まだまだお元気で、種まきは必要なのですから、というのだが、いつも穏やかにニコニコと微笑まれている。
49年前に日本の土をはじめて踏み、15年間の滞在ではあったが、非キリスト教国で、福音のメッセージをつたえるには、難しさはあっただろうが、日本では「する」よりも「である」ことの大切を学ばれたという。逆に、私は、一応カトリックの国といわれるイタリアにいても、「する」ことに追われてしまう自分を省みる。
ミラノに呼び戻され34年。修道会の重要な仕事を任されてきたシスター。すでに日本人には20年以上も聖書を教え、洗礼希望者をも指導してきている。
日本をこよなく愛し、ひたむきに神様を愛し、神に仕えられてきたシスター。いつも私の肩を叩き、Coraggio!(勇気を出して!)と言ってくださる。日本語では「気をつける」という言葉が好きだと仰っていた。「気」・・・心をこめて、胸に当てた手を、誰かに当ててあげるのだと・・・喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣く、互いを思いを一つにし、高ぶらず、身分の低い人々と交わるように、と聖書の言葉のように教えてくださる。
シスターへの感謝の気持ちが神様へのプレゼントとなりますように。