Avvento 待降節突入 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで30年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

あ~もう11月!と思っていたら、今日からミラノは一足早い待降節突入。すでにクリスマス近し。 

カトリック教会では、クリスマス(降誕祭)の4つ前の日曜日から、クリスマスを準備する期間「待降節」に入る。がミラノはアンブロージオ典礼というのを使用しているので、全世界よりも2週間も早く待降節に突入するのだ。もうそんな時期・・・・引越しだ、結婚披露宴だなんだと慌ただしかったので、カレンダーを見ているようで、まったく先を見ていなかった証拠。今月も展示会だ、日本人ミサだ、日本人会フェスタだ、なんだと予定がびっしり入っているので、すぐにクリスマスになってしまうな。師走は一般人も走るのだ。 

さて、このアンブロージオ典礼というのは、ミラノ教会の初代司教聖アンブロージオにさかのぼる、秘跡とミサなどを執り行う独特な様式なのだが、ドウモと同様ミラノを代表する教会として、聖アンブロージオ教会が有名だが、あの教会の地下には、そのアンブロージオの御遺体が祀られているのですね。ちなみに聖アンブロジオは、聖カルロ同様ミラノの守護聖人。 

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/77/Sant%27Ambrogio_Cript_in_Basilica_of_Sant%27Ambrogio%2C_Milan.jpg 

さて、聖アンブロージオは紀元374年12月7日に司教として授かった。(ミラノは12月7日のこの祝日と12月8日のマリア様のご受胎の記念日をあわせて連休としている。)。当時、彼はまだ若い求道者であったが、ミラノの信者達が「アンブロージオは司教」と一斉に叫び出して、彼に教会の指導を委託。いまでこそありえない話であるが、青年アンブロージオは、先ず受洗し、続いて司教に叙階され、ローマ帝国崩壊の難しい時代にあっては、強くて明るくミラノの教会を形作ったそう。乱れた政治の暗い傘の下にあって挫折しやすい民衆の間に新社会の希望を養うためには、福音の言葉に楽譜をつけて、ミサ聖祭に集う信者達に福音を歌わせたりしたという(アンブロジオ聖歌)。民衆はほとんど文盲の時代なので、歌をもって福音を人々の魂に染みらため、いかに心のこもった司牧方策であったかと思う。こうして、今でも教会の聖務日課に唱えられるアンブロージオの多くの賛歌が生まれた訳である。 

ところで、アンブロジオ典礼とローマ典礼の違いは、一年を通し微妙に違う。アンブロジオは救世主到来を待つ喜びの期間はローマ典礼よりも長く、復活祭の前の節制の期間である四旬節は短い、などと人の心理をついている! 笑 なので、ミラノのカルネヴァーレ(復活祭前の四旬節に入る直前に行われる)は他の地域より数日長くなるわけ。又ミサの福音朗読の場所や式次第も微妙に違うので、結構ミサ中、本来立つべきところでなくても、複数がぱらぱらとたち始めると???と思うことがあるが、そういう人はきっとローマ典礼に慣れてきてしまっているからなのだろう。私も逆に日本のローマ典礼に参列すると、たまに???と思うときがある。 

話は基、ミラノで待降節といえば、子供達はバッボ・ナターレ(サンタ・クロース)にクリスマスプレゼントのプレゼント要望?の手紙を書いたり、アヴェント・カレンダー(毎日日にちを開けていくとチョコレートが出てくる)など、お楽しみがあるが、身近な事といえば、地元教会の聖職者による祝福(べネディツィオーネ)の訪問がある。聖職者の訪問といっても、寄付を強要したり、ましてや勧誘したり、などは絶対にありえない。そこに住む人々に神様の代わりに平和、平安を願いにくるのだ。我が家の地域に関しては、昨年は希望者のみの訪問だったが、今年は全家庭を訪問するという。それも宣教ということだろう。 

とはいえ、明日から3晩続けて地元の教会では、黙想会が催されるが、家事、子供達の世話をして出かけていくのは至難の技。なので、出席者はどうしてもある一定年齢以上の方ばかり。まあそれも仕方ない。 

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」 
イエス様というプレゼントを心にいただくとき、その人の心の中に神様の平安が与えられる。それは、すべての人々が求めている平安なのではないだろうか。 

喜びをもってクリスマスを迎えたいですね。 
喜んで行い、そして行ったことを喜べる人は幸福である byゲーテ