学ぶ自由・学ばない自由 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで33年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

先週から日本語の補習校が始まった。 

どうも日本の脱ゆとり教育のしわよせがここ海外にも来ているのではないか、と以前書いた。http://ameblo.jp/sofiamilano/entry-10941851598.html 

次男は、日本でいう小1だが、本来小1は、入学時にひらがなができればいい、というのが前提で、一学期にひらがなを学習し、夏休み後にカタカナが入り、すぐに漢字学習に入る。小1は漢字学習は80文字。2年生に160文字、3年生が200文字・・・(6年生までになんと1006字、漢字を学習することになる!)とにかく、すごい勢いで増えていく。 

それでも、上の子たちが学習してきた時よりも、はるかに次男の授業の速さと量は確実に増えている。カタカナ学習は夏休みの課題だった。それでも2学期に先生と一緒にするんでしょ?と思っていたら、初日にいきなりテスト。これって家庭に丸投げだったんだ・・・そして、初日に既に5文字習得。来週は初漢字テストだという。まあ、海外にいるとはいえ、日本人に生まれ、日本語を日本の学校と同じリズムで学ぶ補習校を選択したのだから、その方針に従わなければ、いけない。とわいえ、いいのかな・・・と思う今日この頃。上の子達には、問題がなかった。(それもはじめのうちだけだけど)でもやはりそれぞれの子供にリズムがあり、アップアップ状態になった場合、どれかを選択すべきかもしれない。3番目の子供にして悩むとは思っ てもいなかったな。 

今年の初めに、「わずらわしいことを取り除こうー学ばない自由について」という挑発的な本がイタリアで出版された。著者は、トリノの高校教師のパオラ・マストロコラ。我が国(イタリア)の学校や教育で何が機能していないか、過った選択、さらには学ばないという可能性まで含めて論じている。8歳から14歳まではしっかりと基礎をかためて、それ以降は様々な選択肢から自由に選ばせるのがよいという考えだ。 

ところで、我が家の長女は、昨年末、現地校で最後の最後に赤点をとってしまい、この夏は補習授業があった。なんでまた・・・もう言葉にもならない。いずれにしても、今までしっかり基礎をやってこなかったし、すべてにおいて甘く見てきた結果だと思った。なので、試験に通らなくても、それは仕方がない。痛みを知って学ぶしかないと目をつぶっている。 

そして、進級試験が先週あった。いきなり3教科がすべて同じ日に。朝8時半から午後の5時まで続いた。途中パニック状態になりメッセージを送ってきた。電話をすると、もう半鳴き状態。何も覚えてない。何もわからない・・・と。自業自得だよ、と思いつつ、深呼吸し、心を落ち着かせてすべての力を出しなさい。といって電話をきった。土曜日に再び朝8時から面接。月曜日に結果が出ると思っていたら、木曜日なんだそうな。生殺しの数日だね。 

勉強したくないなら、学校は辞めなさい。でも、学びたい、と思うなら何が間違っていたか、自分の勉強の仕方、メソッドも反省しなさい、といった。自分で変えなければ何一つ変わらない。彼女にとっては、いずれにしてもよくも悪くも反省、そして再出発の時期になりそうだ。 

とはいえ、私は、常にイタリアの教育には、疑問を感じる。ブラーヴォ、ブラーヴァとほめて育てる教育は幼稚園のみ。小学校から厳しいところも数校あるけれど、大多数がなーなーの教育。高校に行って、厳しくなるのではなく、初めて、基礎のない事に気付くように出来ている気がする。大事なのは、小中学校の基礎。だからこそ、義務教育なのだ。それ以降は、各々の選択で人生を切り開いていける。義務 教育は親にも付き添う責任がある。でもくっつくだけが責任ではないだろう。目はかけるけど、手はかけない。中庸って本当に難しいと思う今日この頃。 

http://www.guanda.it/scheda.asp?editore=Guanda&idlibro=7131&titolo=TOGLIAMO+IL+DISTURBO 
http://archiviostorico.corriere.it/2011/febbraio/21/sempre_giusto_insegnare_chi_non_co_8_110221014.shtm