以前は、本が読むのが好きで、読むのも早かった私。
それが、どうも最近では、読み始めると、睡魔がやってくる。
あちこち、平行読みするのが好きなのだが、どれも止まったまんま。気づくと、推理小説、教会関係、老いに関する本、そして歴史もの・・・すべて中途半端。推理小説は本題に入れば、どんどん先を知りたくて、一気に読んでしまうが、その他のものは、そうそう進まない。笑
森本哲郎氏が,その著『読書の旅』の中で,遅読術のすすめを書いている。 「書物はいつの世にもゆっくりと読むべきなのである。性急な読書では本は何も 語ってくれない。読み手が時間をかけてゆっくりと問いかけなければ,著者はそれこそとおりいっぺんの答えしかしてくれないのだ」。
もし明日までにどうしてもこの一冊を読み上げなければいけないという必要 にせまられたなら,ゆっくり読み,読めるところまで読んで本を閉じたらよい,そのほうがいい加減に斜め読みするよりははるかに得るところが大きい,とも書いている。
私達は常に、情報の洪水の中にいる。本をはじめ、ネットで、知りたい事はなんでも簡単に調べることができる。走り読み、拾い読み、それであちこちの文章を拾うことなど簡単。でも読書というのは、自分の経験と比べて、物事考えたり、著者との対話にもなりえる。
読書の価値は何冊読んだかできまるのではなく、どんな本をどのように読んだかで決まるという森本説は、生き方そのものにも通じるものがあるのではないだろうか。
今更ながら読み出した、塩野七生女史の『ローマ人の物語』第1巻。
私が来伊した時期に発行された本である。小説に出てくるいろいろな場所や名前を思い出し、光景を想像したりしていると、それこそカタツムリのような進み具合。読みながら、昔だったら、絶対退屈だと思った、歴史や哲学なども学んでいたら、もっと楽しめただろうな・・・と思う。
秋の夜長に読書のすすめ。本を読むことを楽しみたい。(ちなみに、次男が眠る前に、本を読み聞かせているが、彼はあっという間に寝てしまう。こらっ聞いているのかっ!)
ひとり、燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる (「徒然草」 兼好法師)