コルベ神父 | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。

今日、8月14日はマクシミリアノ・マリア・コルベ司祭殉教者の日である。

マクシミリアノ・コルベ神父は、1894年ポーランドで生まれ、幼い時から聖母マリアに対して深い信心を持っていた。コンヴェンツアル聖フランシスコ会に入会して1918年ローマで司祭となった。ローマに滞在中同志6人と共に「無原罪の聖母の筒土会」という名の信心会を創立して、聖母に対する信心をひろめることを志し、ポーランドに帰ってから月刊誌「無原罪の聖母の騨土」を発行し始めた。1930年2人の修道士と日本に来て、長崎で直ちに「聖母の椅士」を発行したが、1936年、会議に出席するためポーランドに帰った。しかし、健康を害していたため、母国で院長を務めるかたわら「聖母の賠士」などを発行した。第2次大戦が始まり、ドイツ軍がポーランドに侵入した時、コルベ神父は逮捕されてアウシュビッ ツ強制収容所に送られた。ある日、1人の囚人が逃亡したので所長は10人の囚人を選んで餓死させることにした。その1人は妻子のある士官だったので、コルベ神父は身代わりになることを申し出た。彼は死んで行く囚人を慰めていたが、所長は神父の態度に我慢ができず、炭酸を注射して毒殺してしまった。それは1941年7月で、コルベ神父は47歳であった。
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私が、コルベ神父の事を知ったのは、作家・曽野綾子さんの『奇跡』を読み衝撃を受けた。のちのち考えてみると、高校生の頃私が盲腸で、そして父が自然気胸で入院したり、長女出産後のワクチン外来で通った、実家近所の聖マリアンナ大学病院には、彼の修道会が発行している「聖母の騎士」が置いてあり、その冊子をよくもらって読んでいたことを思い出した。

コルベ神父の行為は、これ以上にない「愛の行為」だという。それって、ただ「いい人」だけで、できることではない。神の概念を通す事によってのみ、人間はよくも悪くもその心理と行動の可能性を無限に追求する事ができる、ということなのだろうが、やはり想像を絶してしまう。

とはいえ、今年の東日本大震災があった際、日本には大勢の外国人聖職者がいるが、あるイタリア人神父の親類が安否を気遣われ、「すぐに帰国せよ」と連絡をいれたところ、「日本列島から日本人がいなくならない限り自分は帰国しない」と仰ったと聞く。まったくもって「宣教」とは命をかけるもの。愛をもって行うものだと実感した。

コルベ神父のような英雄の死は、一日で出来上がるものではない。日頃の生き方の結果であって、英雄とローマは一日にして成らず、か。

特別な人間でなくてもいい。信念を持たなくては・・・理想は常に高く。そう思う一日であった。

追記:彼は、ジャーナリスト、政治犯、アマチュア無線、薬物中毒者、家族、そしてプロライフ(声明尊重)運動の守護聖人でもあるそう。
http://www.seibonokishi-sha.or.jp/