すっきり生きたい | ミラノの日常 第2弾

ミラノの日常 第2弾

イタリアに住んで32年。 毎日アンテナびんびん!ミラノの日常生活をお届けする気ままなコラム。



今朝、次男が宿題をするのに、消しゴムがない、と大騒ぎした。あり得な~い。昨日はあったんだから。朝から今のソファを動かしたが、みつからず。まあいいだろうと、そのうち何処かから出てくるだろう。

というわけで、ソファを動かしたついでに居間の模様替え。ついでにおもい腰をあげて、いらないものの整理をした。

まずは、本から。来月は、在ミラノの日本人会の主催の古本市がある。整理して、そこへ出してしまおう。自分と子供の古い本は処分。あとは夫の宿題。

次に、おもちゃの整理。まあごちゃごちゃちっちゃなものが沢山ある。プラレールも、そろそろ誰か欲しい人がいればあげてしまおう。子供達はよく遊んだ。でも多過ぎ。

そして、洋服。子供の古着は、古着用黄色いゴミ箱用とITAMA(外国人ママのイタリア語教室)のアラブ人ママに持って行くものとわけた。私の古着も今回思い切って出した。少しは箪笥がすっきりしただろうか。とはいえ、本の一部だけ。

今まで帰国したり、横移動する友人を多く見送って来たが、誰もが口を揃えていうのが、ものが多いということ。また数年後、再び横移動、引っ越しを繰り返す人も多いが、やはり引越しをしても、またものは増え、毎回すごいことになるらしい。そんなものか。

この家に引っ越して来て、7年。その後家族も増えた。すごい荷物なんだろうなあ。

さて、以前、「持たない暮らし」という日記を書いたことがある。http://blog.livedoor.jp/s_sofia1317/archives/2010-03.html#2010031

何が大切で、何が無駄か。人それぞれであろう。職業、生き方、考え方、その人の全てがある。価値観の基準は、全て自分である。大事にしているもの、いらないと思っているものをみれば、もしかすると、その人がわかるのかもしれない。

かの有名な良寛は、晩年に「三条の大震」と呼ばれた地震にあい、友人に書いたと言われる「地震見舞い」がある。

「…災難に逢、時節には災難に逢がよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるゝ妙法にて候。かしこ」(良寛全集 下巻 東郷豊治編著 東京創元社 昭和34)

何事にも時節というものがあり、災難に逢う時には、災難に遭い、死ぬ時には、死ぬのがいい、ということか。この自然の摂理をわきまえて、心を定めていることが、災難というものをのがれる唯一の方法だということか。彼は、必要最小限の物に囲まれて生きていたという。自分の欲望を律した厳しい暮らしの中で、心はこの上なく、のびのびと自由に生きていたという。

まだまだだなあ…。