明石と淡路 | ソフィア・エコ・プラン 社長 「はーさんのブログ」

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薔薇屋のはーさん!Sofia的EcopPanな日々

「体臭をバラの香りに!」の思いから世界初のローズオイルカプセルが誕生しました。
「ローズドリナ」の生みの親 原田博之社長のつれづれブログです。

夏になると小学校(国民学校)3年生頃を思い出します。


明石の白浜の事を書きました。


痛いくらいの熱い太陽の光でした。


エンジン付きの貨物船でも行き交う船全てが帆をかけていました。


帆が無いのは軍艦くらいなものでした。


航空母艦は、それはそれは大きなものでした。


エンジン音も、寝転がっている子供たちのお腹に響く程でした。


明石が、焼夷弾でまる焼けになる前日に、対岸の淡路に避難し、大きな花火大会のような明石の夜景を淡路の海岸から見ました。


翌日近所の漁師の舟に便乗して明石に帰りました。


太陽と、焼けた地面からの熱で息苦しかったのを覚えています。


ここらあたりだと見当をつけて自宅跡を探しましたが、大きく通り越していました。


遠い所と思っていた警察、市役所、国鉄明石駅の一部が焼け残っているのが近くに見えました。


手足を縮めて丸焼けの子供の死体が転がっていました。


後で、子供でなく、大人が焼けて小さくなってしまったのだと聞かされました。


両親は死んでいないと確信していましたが、近所の誰も消息を知りませんでした。


私は、弟の手を取って「大丈夫やからな。」と言いました。


弟は、丸坊主に戦闘帽の頭でうなづきました。


国民学校2年と3年の兄弟でした。