空襲で、防空壕に避難した人の被害は大きかったように思います。
爆弾の場合は、生き埋めになっても、掘り出してほとんどが助かりましたので、空襲があると本能的に防空壕に逃げ込みました。
しかし、明石は爆弾ではなく、焼夷弾でした。
あっという間に家屋に火が移り、また人々には焼夷弾の油脂が燃えながら降り注ぎました。
私の同級生は、油脂が顔に付き、熱いので手で払いのけようとして手の脂がくっつき、顔の皮膚が溶けて目が閉じられなくなりました。
(成長するにつれて、普通の顔に近く回復していきました。)
漁村の人々は海に逃げました。
又、漁舟で沖に出ましたが、焼玉エンジンでしたので、煙突から火をふきだし、上空からはおそらく砲撃に見えたのかもしれません。
焼夷弾は海岸から町へと北上して降りました。
通常焼夷弾の場合、「倉」は火に耐えられますので焼けずに残りますが、我が家の倉は直撃弾を受け、2つあった倉が消失していました。
焼け残った倉も、生活用品を取り出そうと扉を開けたとたんに、倉の中に新鮮な空気が入り炎え上りました。
倉の内の温度が低下する迄待つべきでした。
父母は、明石からは8㎞程西にある同業網元の家に居ると連絡が入りました。
迎えに来てくれた祖父と三人で夕日の西に向かって歩きました。
垂れ下った電線がショートし、黒い牛が死んで転がっていました。