梅田支店は梅田花月劇場の向かいにありました。
大阪梅田に地下街が完成した頃でした。福○相互銀行の取引先は地下街には1軒もありませんでした。
理由は簡単で、地下街出展に際して福○相互銀行は融資による支援をしなかったからです。
相互銀行は都市銀行に比べ、資金コストが高く貸付金利においても都市銀行と競争できず、勝負になりませんでした。
地下街店には毎日現金が集まります。店は閉店後売上金を銀行の夜間倉庫に袋に入れて投げ入れます。
この時期、偽の夜間金庫を設置し、しかもご丁寧にも本物の倉庫には故障中の張り紙をしたものですから、何軒もの被害を出した事件がありました。
彼はこの手口は日本人でないように思えました。振り込め詐欺の先駆者です。
後日談があります。犯人が計算したより投げ入れた店が多く、壁が膨れてばれたとのことでした。
彼が梅田に赴任すると「地下街の開拓を頼む。困難は承知の上だが、いい知恵をしぼり出してほしい。」
そうは言われても彼には直ぐ良い知恵がうかびませんでしたので、当初新長田支店の新興住宅地区開拓と同じ手法で地価街店を軒並みローラーをかけました。
従業員さんと親しくなり、個人口座は増えましたが、地下街店経営母体の会社との取引やオーナーとの取引は進みませんでした。
経営母体との取引を目標にするなら、社長やオーナーとの取引が不可欠でしたが、面会すら困難をきわめました。
彼は支店長に「午後からの出勤にしてください。」と頼み、週に2~3日は午後からの出勤にしてもらいました。
そして夕方から地下街店経営者の自宅に予約なしの訪問を開始しました。
スクーターで生駒、池田、住吉などに出かけました。
すぐになれて、折りたたみ椅子、懐中電灯、本を持参し、門前で読書しながらひたすら社長の帰宅を待ちました。
時折奥さんに気付かれ、居間で待つよう説得されましたが、遠慮してそのお宅からすこし離れた電柱の陰で待ったりしました。
社長帰宅の車が玄関前に着くと、パッと飛び出し、
「福○銀行です。」
と深々と頭を下げ、名刺を差し出します。
「何事やねん、今時分。」
と不機嫌な声がかかるのは普通で、社長は玄関に消えました。
彼は後姿に向かって
「すみません、夜分に。お会いしたかったものですから。」
と大声で誤りました。
そしてその後1時間ほど待ちました。
いったん家に入られた社長も風呂にも入り、着替えなさると、気持ちに余裕が出て、さっきの変な男がまだ門の前にいるか気になりだし、様子見に門前に出てこられます。
社長「まだおったんか、何時間待った?」
「取引の話なら諦めてくれ。うちはD銀行に不義理できないから。」
とか
「あまりキザなことするなよ。」と強くしかった後、
「まあ、入れや。」
と応接間か食堂に招き入れられました。
食堂に通された場合は、一緒に夕食ということが多かったものです。
社長さん方とは、取引の話ははじめの10分間程度で、後は
「お前さんの田舎はどこや? 証の新浜?わしは真向かいの淡路の岩屋や。」
とか
「居間は池田の山の中やけど、本当は海を見て暮らしたい。」
と、大変個人的な話題になったものです。
一代で成功した人が多く、社長方の若い頃の思い出話は大変興味深く、楽しく聞けました。
時には感銘を受け、思わず涙したことも多々ありました。
さてその社長さんとのお話とは・・・