外回りの営業から敬遠されている地区がありました。

まず犬の放し飼いが多い地区で、犬に吠えられたり、噛み付かれることがありました。

集金の自転車やホンダカブの前に急に飛び出す手口の当たり屋が出没する地区でしたが、彼は犬に好かれ、じゃれてズボンを汚されることはあっても、吠えられたことはありませんでした。


犬は飼い主の発する電磁波を100mはなれた距離からでも感じて反応すると聞きますが、彼には犬に対する友好の電磁波が出ているらしく、被害を受けたことがありませんでしたし、当たり屋に遭遇したこともありませんでした。


彼が街を通ると、お好み屋さん、天婦羅屋さん、一膳飯屋さんが、

「兄ちゃん、食べて行き!」

とご馳走してくれました。

彼は決してもてるタイプの男ではありません。

男がもてない三大条件である、ハゲ、デブ、チビは当てはまりました。

しかし、決してケチでフケツではなく、おおらかで、マメであったことが、三大欠点を帳消しにして余りあったのかもしれません。


彼は或る日、新規開拓の暗示を受けました。彼の属する新長田支店のテリトリーと隣の神戸支店のテリトリーの接点地帯が、どちらの店も手が回らない員空地帯であることに気づきました。

その中でも手つかずの地点である遊里の福原地区へ足を踏み入れていきました。


そこで見つけたお客様とは・・・ 

乞うご期待!


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得意先係長「原田君、契約はなんぼや?」

原田「ハイ!30万円ほどあります!」

係長「それは集金額や。台帳につけとてお金と一緒にして出納係りに渡しなさい。」


原田「今度何軒か紹介がもらえます。」

係長「とび込みをやり、とび込みを!」

と尻をたたかれました。


日掛け、月掛けの満期があると、日、月の掛け金の口数を増やして契約更新することが多いので、契約は少しずつ取れ始めましたが、上司からは新規取引を要求されました。

とび込みとは、取引のない家や事務所に紹介なしで取引勧誘に行くことらしい、と彼は理解しました。


この頃から彼の営業戦略にも一寸ばかり知恵がつきはじめました。

体を張った営業、すなわち「ずぶぬれ作戦」

雨の日には傘をささずにセールスに出ました。


「福○銀行です。日掛け、月掛けの積み立てをなさいませんか?」

と商売の店先や事務所を訪ねますと、応対に出てくれた大概の人は

「まあ!こんなに濡れて!!背広が台無しやがな!」

とタオルを出してくれました。


原田「すみません。ご親切に。ところで日掛け、月掛けしませんか?」

お客さん「したる、したる、したるさかいにこれで拭きなさい。」

・・・といった筋書きで契約が取れました。


この同情をかうやり方は夏の炎天下、スーツ、ネクタイ姿でセールスすることでも効果がありました。

雨のセールスは6ヶ月ほどで中止しましたが、夏のスーツセールスは退社するま続けました。


信用第一の銀行員の夏のスーツ姿は彼にとっては大変な「衣装」でした。

彼は夏の暑い日に開襟・ノーネクタイで営業に出ると、顧客の店先や事務所で長時間食べたり息抜きをしていましたが、ネクタイ、スーツだとそれがなくなります。

靴の色が黒から茶色に変わっただけでも彼の行動は心なしか変化しました。

彼はそれをよく自覚していて、仕事に気持ちが乗らなくなると仕事着を変えました。

白の開襟、半袖がやっと許される時代のある日、彼はアロハシャツで出勤しました。

当然係長や支店長から苦情と厳重注意が出されました。

一日中内勤でいるように言われましたが、頃を見て集金に回りました。

行く先でひやかされましたが、彼は目に見えない刺激を感じ、俄然やる気が沸いてきました。

頭髪もビートルズばりに長髪にしたり、レスラー並みに丸刈りにしたこともありました。彼には座禅で自分を変えるのは難しいけれどもちょっとした外からの刺激で自分を変えるのは安易だと信じていたのです。


彼は、お客と親しくなってくると今までは3日程かかっていた100件以上の日掛けの集金を一日で一度にもらえるようになり、集金業務が大変楽になりました。

親しい顧客からは

「こんなん日掛けとちゃうやんかぁ」と笑いながら苦情ともいえない苦情を言われましたしたが、三日掛けは続けられ、新規顧客開拓に余裕の時間を回せるようになりました。

日掛け、月掛けの集金には顧客カードを持参して、顧客の通帳にスタンプを押す一方で持参したカードにも記入しました。

彼はこのようなルールは守っていましたが、出納係りからみればルーズと思われていたことでしょう。。

というのは、彼は集金と現金の累計が合致しない場合、現金が多ければそのままにし、不足した場合はポケットから出し補填していました。

しかし彼は、後々過不足が発見されたときには不足は問題になりますが、過入金は仮受処理されるということがわかっていましたから。



彼と同期入社にTという男がいました。Tは記憶力がよいので銀行に帰って記憶で台帳に記入できたので彼より退社時間が1時間以上早かったのです。

しかしこの記憶転記法はj契約が満期になったときに顧客の通帳と銀行の台帳との記録が合致せず、大問題になりました。


銀行の信用は銀行には違算がないということを前提としています。

1円の誤差でも出納係りは徹底して解明していました。

きっと出納泣かせの2人だったことでしょう。


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彼は福○相互銀行 新長田支店に配属され社会人としてのスタートを切りました。

1955年4月 桜の花が満開の頃でした。


「日掛け、月掛け、心がけ」と毎朝唱和して、得意先係の仕事が始まりました。

彼の金融機関との縁と申せば年賀状を出しに郵便局に行った程度の経験しかなかったのに、いきなり「日掛け、月掛け」の集金をこなし、契約迄獲得するよう上司から指示された時は面喰らいました。


彼は金融関係の仕事を目標に就職活動をしていたわけでなく、父母の長唄の師匠の旦那が製紙会社の社長で、その取引先であった福○銀行へコネで一方的に頼み込み採用されたのであリました。

彼は相互銀行が都市銀行の融資対象からもれた中小企業の為の銀行だということも知らなかったのです。


彼のいい加減は既にこの就職から始まったのです。

相互銀行は勿論銀行には違いないが、集金称して集めてくる資金は預金とはいわず掛け金といい、またその掛け金の利子は給付補填備金といいました。


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