私はよく、「絵が上手」「得意そうだね」と言われます。
絵は好きです。でも奥には苦い思い出があります。
(かなり長い文になります。)
・・・私は色が好きです。
小さい頃はぬり絵をよくしていましたし、(色鉛筆よりクーピーのようなやわらかい描き味のものが好きです)紙に鉛筆やペンでマンガを描いてみたり、小学生の時、油絵を描かせてもらったりしました(描くというか触る程度ですが)。
父親が絵を描くのが好きで、絵を描くことを経験させてくれたり、美術館によく連れて行ってもらいました。
なので絵を描くのも見るのも好きでした。
小さい頃の話ですが・・・。
父親は、私が絵を描いていると見に来ては、「ここはこうした方がよくなる」と言いました。
「もう、わかったって!」と心の中で思いながら、そんな干渉を黙って受けとめていました。
ある時私が学校の課題で水彩画を書いていました。
しばらく机から離れている間に、父親が加筆していました。
父としては、良かれと思ってしたことだったのでしょう。
・・・そのときの失望感と言ったら、それは想像を超えるものでした。
どんなに下手でもいい、私が自分で描き上げたかった。
誰に評価されなくてもいい、私は自分の表現をしたかった。
どうして私がやっていることを、父は受け入れてくれないのだろう。
もう描き直す時間もなく、描き直したところで父親が「なんでお父さんがせっかく描いた絵を使わないんや」と怒りそうだったので(今で言う“逆ギレ”しそうだったので)不本意ながらその絵を提出しました。
それが校内で賞をもらってしまい・・・。
・・・もうガッカリですよね。
大きな失望感とともに味わった無力感。
自分の絵なら、賞に入らなくても何とも思わないのですが、私の名前で、父が書いた絵が評価されている。
これは私に与えられた賞ではない!!私の絵じゃない!!と、その時から父の見えるところで絵を描こうとは思わなくなりました。
私には絵を描く力はない。
描いても結局潰されてしまう。
・・・好きなのに、諦めざるを得ない状況に陥りました。
「やってもどうせうまくいかない」
「私は何をやってもダメなんだ」
ここでその思考パターンが作られたような気がします。
父親に対するわだかまりも、その時から長い間続きました。
その後私自身の悩み、落ち込みがあり、自分が回復していく中で父親に対する見方も変わってきました。
父は昔、絵が好きでその道に進みたかったのですが、親の仕事を継ぐために諦めざるを得なかったのです。
当時は自分の思いを押し通せる時代ではなかったのです。
父の中で満たされない思いがあり、それが子どもに向かったのでしょう。
そして子どもである私にも、同じ思いを無意識に強いていたのでしょう。
子どもの思いを大事にする、その前に自分の絵を認めてもらうことが必要だったのでしょう。
私が感じていた気持ちは、どこかで父も感じてきたことだったのです。父は自覚していなかったと思うのですが・・・。
そして子どもの頃の私も、そんな父の気持ちに気づく由もありませんでした。
これは父の思いをかなえるために子どもが犠牲になっていい、というのとは違います。
父にも叶えたい思いがあったということ。
でも今その時期は過ぎています。できなかったことを誰か(子ども)の舞台で叶えるのではなく、今の自分の舞台で叶える。
それは可能だと思います。
私も大人になりました(笑)。
これからは、それぞれが今できる形で、自分のやりたいことを叶える時代に来ていると思います。
もちろんそれについての責任は自分が持つ、ということを前提にして。
親も、子も、自分らしさをもっと発揮していく時代。
「親が~だから、私は~できない。」
もうそんなことを言ってはいられません。
自分の実現したい道を進みましょう。
「やりたいと思ったことは、やっていい。」
それが結局は、自分も親も、持って生まれた質を生かすことになるのではないかと思います。
アートセラピーから芋づる式に思い浮かんだ、絵に関する記憶でした