父とドーナツ | Peace of Mind ―そらいろのブログ―発達支援・色と星からママと子どもの心を軽くするセラピスト

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福井市で自宅サロンをしています。
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オーラソーマコンサルテーション、占星術セッション、お茶会など

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今日はお菓子作りをしました。




父のたっての希望で。




結構前から、「ドーナツが食べたい」と言っていたのです。




父は、一般的なリングドーナツよりも、沖縄のサーターアンダギーのようなゴツゴツしたものが好きなのです。




それと、今年のどんど焼きでふるまわれた豆乳ドーナツ?おからドーナツ?がよほどおいしかったのか、同じものを作ってみたいとおからをた~んと(笑)買ってきたのです。






普段ほとんど台所仕事をしたことのない父。




一時母が体調を崩したとき、どうしていいかわからないでいたので、台所のことをいくつか伝えていきました。






最近では、野菜たっぷりのスープを作ったり、ご飯が足りない時には炊いておいてくれたりします。


そして、「どや、お父さんの作ったご飯おいしいやろ音譜


と言います。




母にとっては毎日当たり前に続けていることですが、父にとっては初めての“自分が作った”“自分でできた”という、 達成感を伴う大きな出来事なのでしょう。




  

今までは仕事仕事で、外にしか目が向いていませんでしたが、今は家の中のことにも目が向いてきたみたいです。








私は極力説明だけで、父が作業するようにしていきました。




自分で体験したことでないと、身についていかないからです。




自分が体を動かして、考えて、やってみたことでないと、自分のものにならないということは、経験上感じています。








ホットケーキミックスに、おからをたくさん入れて、生地を混ぜて油で揚げていきました。




揚げるのも父です。




私は側で見ていました。






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横から何気なく写真を撮りました。揚げたてをさっそくつまみ食い・・・いや試食していました。




本人は写真を撮られているとは気づいていません(笑)






味は・・・






ミックスは分量どおりですが、おからをたっぷり入れた分、甘みが薄まって・・・




う~ん・・・






味の薄いドーナツができました(-。-;)






・・・これはこれで良しとしましょう(;^_^A




ハチミツをかけて食べました。






そのあと、バナナ入りドーナツも作りました。








父も自分で作ってみたことで満足そうでした。




めでたしめでたし。






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・・・長くなるので、父親との関わりについて興味のある方だけ読んでください。










父とこういう関わりができるようになったのは、つい最近のことです。




父は、「子どものためを思って」あれこれ口や手を出す人でした。


「私は自分でやりたいのに!自分の力で最後までやりたいのに!」

そう思いましたが、




「父は私のためだと言ってやっている。


それに対して、私がそれは嫌だと言うことは、父の気持ちを傷つけてしまうのではないか。


父の思いを踏みにじってしまうのではないか」


という思いから、言えずに内に込めてきました。






子どもなのに、親の気持ちを感じ取ってそっちを優先してしまう、親に気をつかう子でした。






その結果、家以外の社会に対しても周りの人の状況や気持ちを感じ取って動くようになり、そのうち自分はどう感じているのかがわからなくなっていきました。






自分一人の中だけの混乱ならまだいいのですが、人との関わりの中で自分を出せないことが、自分を生きるうえで大きな壁になってきました。






父とのこんな関わりが原因なんだ、あの時私は自分でやりたかったのにさせてもらえなかった・・・と何度も思いました。






今思うと、これが“トラウマ”というものなのでしょうね。






もう今はその何もできなかった時期を過ぎて、自分で選べ、自分で意見を言える年になりました。


なのに、いつまでも、“あの時こうだったから・・・”とそこにしがみついてしまうのです。




不思議ですね。




もう自分のやりたいことは自分で決められるようになったのに。


誰も言わないのにその思いを固持し続けてしまうのです。






父は子どものためと思ってあれこれ手を出していました。




その一部は、私にとっては必要のないこともありました。




子どもの私は、そのことをうまく伝える術を知りませんでした。




そのことに父も気づきませんでした。






そんな気持ちのすれ違い、それが長年積み重なって、お互い心が固くなってしまいました。


私は父の好意を素直に受け取ることができなくなっていました。


父も自分の意に沿わない態度が返ってくるので、不満だったのでしょう。





父も、私もきっと不器用だったのです。




でもその時代にはそんな関わりをするしかなかったのです。




その関わりが、そのときの精一杯だったのだと、今は思います。




だから、その時代を、今はもう許せます。



そしてそんな時代を過ごしてきたから、今できることがある、そう思います。



あの時代の関わり、感じたことはすべて私にとって必要なことだったと。

私が「今、ここ」にいる(この場所に来る)ために必要なことだったのでしょう。






今までの道のりに、感謝します。






何らかの形で、父親との関わりに悩む人も、このブログから何かを感じてもらえたら嬉しいなと思います。