どうもどうも。ネタもそんな無ければ書く気力もさして無い感じですかね。忘れてる人もいるかもしれませんが、成長ホルモンや男性ホルモンが通常の1/100で過ごしてますからね。体力も気力も薄いです。ハイ。てかそんな感じでブログ投稿してなかったら『ブログが思いつかない人の為のナンタラカンタラ』ってポップアップが出てきてクソ鬱陶しいしなぁwでまぁ、仕方なくアメブロの『投稿ネタを使って書く』ってトコ見たらみるからに配偶者がいて子供がいるハッピーライフ満喫中向けのお題が並ぶ並ぶ。見んかったら良かったわホンマ。良かった探しがまた1個増えたわ。『あんなモン見なきゃ良かった』って感じのがなw
てか投稿ネタの中に『#あなたの家の教育方針』とかあったけど書いてええんかソレはwまぁ一般的な教育方針で『子供を2つ叱って3つ褒め』なんていいますが、ウチはオカンが『次男(弟)を5つくらい褒めて長男(俺)を382くらい叱る』みたいなトンチキなんかはるかに超えて基地外ストライクバッターアウトなことやってたからなぁ。あれ全部書いてたら読む方も気持ちが大変になると思うよw
ま、それはさておき先日終わった朝ドラ『あんぱん』の話だが…、前半はちょっと大変だったものの、のぶと嵩が結婚したあたりから良化していったのは良くも悪くも謎だった。初手から悪かったらそのまま最後までそのペースだったり、最初こそ良かったものの中ダルみ起こした後はそのまま浮かばずに沈んだままっていう朝ドラ・民放ドラマ・アニメなどはよくあったが、最初グダグダだったのに与那覇亘のハブボールみたいに途中から上がってくるのはレアケース。
まずは序盤数週でやなせたかしの名言をバーゲンセールやらかしたこと。もうタメも前フリもなんもなく垂れ流しって感じやったもんなぁ。1つ1つの言葉を大事にしてほしかった。あとのぶの家庭構成遊びすぎやろw実際にはやなせたかしさんと奥さんは大人になってから新聞社で出会ったこともありのぶの幼少期の設定やエピソードは割と自由に出来るとは言えちょっと自由すぎやしませんか…?ん〜。
あとまぁ戦時中の描写がなぁ…。なんか妙と言うか…。変に戦後ポピュリズムというか左派ポピュリズムに寄りがちというか…。特に豪の出征祝いで盛り上がってる時にヤムおんちゃんが『勝とうが負けようが虫ケラのように●ぬんだ!』って流れをブッタ切ること言ってたけど、あれは戦後の空気というか左派ポピュリズムというか…。ああいう『はだしのゲン』的な今の価値観で昔の世相をメッタ斬りみたいなのはどうにもなぁ。
てかこの手の第二次大戦中を描くドラマで出征が決まって『バンザーイ!』ってみんなで叫ぶシーンなどで『なんで自分の子や近所の子が戦争に行くのがめでたいのか⁈野蛮すぎる!』って感想ツイートを漏らす人も多いし、先程のヤムおんちゃんみたいに『当時の軍国主義が満ちてる世界に喝を入れるシーンは必要!』とか言う人もいるけど、じゃあそれで何が得られて何が達成できると言うのか。てか本当に昭和初期の人間は8割を超える人が戦争賛美で自分の子供が戦争に行くことを喜びと捉えていたのか?ってことよね。てかコレ昔からずっと疑問でね、学校の先生に聞いても『それは当時の人がみんなそう思っていたから戦争に走っていった』という100%間違ってはいないけど90%以上不正解みたいな不明瞭な解答ばかりで全然疑問が晴れなかったのね。
一応補足しておくと、俺が児童・学生だった80年代〜90年代前半あたりは今よりも左派・左翼の意見が強かった時代であったことは付け加えておきたい。その少し前の世代から左派メディアが第二次大戦中の日本軍の愚かさをこれでもかと捏造してでも報道しまくっていて例えば吉田清治による大ペテン話なんかは当時盛んに議論されたが現在では資料的価値はゼロだというのは有名な話。今で言う割とリベラル寄りの当時の雑誌やメディアなんかも反日の丸・反君が代までは行かないもののやや軽んじる傾向にあったような空気感だったし、なにより戦後の民主主義の中でそういった学習が強く取られた世代でもあるし、今ではあまり名前を聞かない日教組の勢力がまだまだ強かった頃の話なのでそこは差し引いて考えたい。
てか当時の戦中を描いた漫画とか今読むとトンチキな設定も多かったりするからなぁ。従軍慰安婦の全てがお金ももらわずに(※もしくはハシタ金で)強制的に性奴隷になっていたなんて話は今でも信じてる人がいるようだが、もちろん絶対そんな部隊は無かったとは言わないがほとんどの施設がどうやって稼働していたかは改めるべきであろうし、そういう人達はなんでか知らんが1945年8月9日以降にやらかしまくった日ソ不可侵条約(日ソ中立条約)を破ってまともな戦闘能力もない満州や樺太などに攻め込んで民間人相手に暴行・虐殺の数々には怒らないのは不思議な話だし、個人的には占守島や樺太でギリギリのところで日本を守ってくれた祖父母や先祖世代の方々には感謝しかないです。
それはそうと当時の空気感だが、別に私も当時を生きていた訳ではないが今と違ってみんながみんな軍国万歳で終戦後に急に民主主義に目覚めたというのも妙な話。もちろん恥も外聞もかなぐり捨ててそうやっちゃう根無し草思想みたいな人もそこそこ居たと思うし、
まぁこういうわかりやすい人もいたと思うが、我が子や愛する者を戦争に取られてでも軍国万歳とかそこまで居たかというと疑問だし、数年前のコロナ禍あたりなんかもそうだったが県外ナンバーに盲信的に嫌がらせをする輩とかもいれば反ワク勢力とか感染リスクなんかどこ吹く風と路上で飲み歩く痴れ者まで居た訳(※コロナ禍での政策、特にワクチンの扱いなどは今後検証も必要だし今されている部分もあるがそれはちょっと置いておこう。)だが、令和の状況と戦中の状況で違うのは、戦争というのは当時の価値観の中では第二次世界大戦以前からあって急に出てきたものではないのと、当時は世界中が帝国主義・覇権主義の情勢で明治の終わりから日本は快進撃をみせていた(※もちろんこれも戦争だから全ての戦争を批判するならこっちもするべきだが、ココで入れるとゴチャッとするので棚の上に置いときたい。そこが本題のテーマちゃうしな)、そんな中でアメリカ国務長官コーデル・ハルから絶対受け入れられない要求をしてきてそこを突っぱねたことによって対米参戦(太平洋戦争)に突入し最初は景気良かったものの物量の差を跳ね返すことは出来ずミッドウェーの惨敗以降はいいように押されているのだが、そのあたりから国内でも不穏な空気が流れ出して学徒出陣や金属供出、食糧不足に配給制、徴兵範囲もどんどん広がっていってそんな中で当時の米軍がやらかしたのが日本全土への空襲。日本中が混乱と恐怖に陥ってる中でも国としては言論統制をしていってムチャクチャな状況下でも『御国のために!』『進め1億火の球だ!』『ぜいたくは敵だ!』などと憲兵であったり雰囲気に流されやすいだけの癖になぜか偉そうでトンチキな人達による統制が行われていた時に『戦争反対!戦争に子供や愛する者を取られたくない!』なんて思っていても口には出せないのよ。表向きは赤紙が来たら『おめでとうございます』といい出征の際には『●●●●君バンザーイ!御国のために戦ってこい』とは言う。この戦争に大義も利益も無い!なんて思ってたって世間一般の中では許されない価値観だから表向きはそう言ってた。
てか、父方の祖父が亡くなる半年前に自分の寿命を悟ってか(※実際家族には残り1年ももたないと宣告されていた。本人には伝えてなかったようだが)名目上の本家長男である俺だけ大阪に呼び出されていろいろ話をしてくれたが、その中に『戦時中はみんな御国のためにっていって自分の子供が戦争に送り出されてもバンザーイ!って言ってたけど、家の中ではみんな泣いとったんやで。』なんてのもあった。ちなみに祖父は大正1ケタ生まれ。徴兵検査は受けたが私と同じような細身で小柄だったもんだから20〜30kgの装備品を背負って大陸やジャングルを何㎞や何十㎞も行軍する歩兵向きではないと判断されて戦争には行っていないもののそこで生きていて当時の空気を知ってはいたが戦後に空気がガラッと変わってしまってそんなことが逆に言えなくなった。…が、寿命を悟ったあたりで俺だけを呼び出して教えてくれた(※他にも戦中・戦後の大阪の話をいろいろ教えてくれた)。まぁ実際そうなんだろうと思う。てか表向きはみんな軍国主義って感じでいたが『内心も軍国主義な人』から『内心はこんな戦争に大義も利益も無いと思っていても言えない人』の2極間の中でグラデーションがあってそのどこかに位置していたのだが、そんな中で出征祝いの宴の最中で『勝とうが負けようが虫ケラのように死ぬんだ!』って表立って水を差すヤムおんちゃんや、嵩の出征で町内で見送りしてる時に嵩の母ちゃんが『嵩!死んだらダメよ!』って表立って言うのは当時としてはかなりトンチキ(※しかも両極端からみてもトンチキ)なはずで、戦後の思想でもって戦中の思想を撫で切りにするような話はあまり褒めたくはないのだが結構高評価してる人が多いのがなんとも。そらもちろん俺だって戦争なんて無い方がいいし、自分や自分の関係者が戦場に行くことになったら内心『なんでもええから生きて帰って来い!帰ってきたい!』とは思いますよ。ただ、当時の空気を裏も何も読まずに良くない物だと断罪した挙句戦後の価値観で裁くような演出は個人的には褒めたものではない。ていうか、過剰に軍国に傾くのも過剰に反戦平和に傾くのも割と似たようなもので、いざ有事ってなった時にこの人達はそういう雰囲気に飲まれないのかな?という不安すらある。
ついでに言うと、個人的に『はだしのゲン』という作品は卑怯な話であって価値はあまり無いと思っている。さっき触れた話と似たことなんだが、戦後に出来た左派ポピュリズムの価値観を持った少年を戦時中に登場させて、さもそれが正しいかのように動かして左派の思うように無双させてるに過ぎない話でしか無いからだ。戦争の悲惨さや原爆の悲惨さに関してはイヤという程伝わってくるがあれを読んで反戦に繋がるかというとNOだ。戦争に巻き込まれない為にすべきことは何1つ描いてないしね。『憲法九条があれば平和』『敵が攻めてきたら白旗を挙げればいい』じゃ話にならない。なんで日本は日清日露以降の軍国主義になったのか、それ以降なんで軍部は暴走し出したのか、大東亜戦争を避ける道は本当にあったのか、その辺全部すっ飛ばして『戦争怖い』『大日本帝国は悪』『赤紙が来たらおめでとうやバンザーイなんて野蛮』『B29爆撃機が来てる中で町内で竹槍持って藁人形刺してる場合じゃない』『1人殺したら犯罪人で100人殺した英雄か?』なんて単純な話をやってたって敵は攻めてこない訳じゃ無いし、白旗あげたからって平和になる訳じゃない。
まぁ難しい話ではあるんだが、戦後左派パラダイスみたいな価値観を戦中の価値観の上に置いて語るのはちょっといただけないし、それを賞賛した所で何も生まないんだとは言いたい。戦後左派価値観なんて反戦の役に立つかっていうとまず立たない。まぁだからって戦前戦中のあの価値観がまともかって言われるとそれはそれで違うんだが。
…おっと盛大に脱線したような。まぁそういった描写があったし、あのエグかった嵩のオカンを松嶋菜々子が演じるのもなんかどうも違和感があったし、妻夫木演じる八木上等兵がオールマイティーすぎるわ、高知新報の小田琴子が屋台で飲み歩く描写があったが、当時そんな人が1人もいなかったかっていうと違うが、当時の屋台なんて危険がデンジャラスと言ってもいい場所に若い女性が頻繁に飲み歩くのは中々の浮ついた設定だなぁと思ったし、そもそも月刊くじらの編集室を勝手に作ったり光画部クラスのフリーダム感はちょっとモニョる部分はあったし、大体高知新報編短すぎない?まぁ実際にそんなに長く在籍した訳じゃないんだろうが腰掛け設定って感じはしたかなぁ。
そういった謎設定が続いたこともあって『…あれ?これはハズレ朝ドラちゃうんか?』とも思ったんだが、嵩とのぶが告白して付き合うあたりから急に良化していっていったのはビックリした。まぁ、辛島健太郎がメイコののど自慢出演や嵩のまんが教室出演の為のおあつらえでNHKディレクターに急に就職したりとご都合主義は相変わらずだったが、後半は落ち着いた展開を見せていて本当に良かったなぁと。そんな訳で個人的評価は前半は相当いただけない展開も多かったが、その無茶がなんだかんだで最後には花開いた感じがあった。最初の1ヶ月でタメも何もなしでやなせたかし先生の名言を大放出してる時にはどうなるかと思ったがw
そして新しい朝ドラのばけばけだが…、すねいく出てきてんだけど。あれがにゅるにゅるし始めたら多分見ないと思う。作品の良否に関わらず。