前回以降、永田和宏さん、河野裕子さんについて、何冊か本を読みました。
感想、疑問などを5点ばかり書いてみたいと思います。
①時系列的に気づいたこと。
永田さんと河野さんの出会いと、関係の深まり、そして河野さんの心には先住民としての「N」がいて、河野さんが恋のジレンマに苦しみながら、ついには永田さんと結ばれていくというふうに、私は受け取ってきました。
しかし、『あの胸が岬のように遠かった』の本の河野さんの日記の日付に注目していくと、永田さんと河野さんが初めて出会うのが、学生同人誌の歌会で1967年7月20日です。
「N」とはじめて出会う「コスモス歌会」の八島での全国大会は同年8月で、月日は書いてありませんが初旬のことだと受け取れます。
この二つの出会いの日にちをみると、永田・河野の出会いの方が河野・「N」の出会いよりも、十日から二週間くらい早いことになります。すると、学生同人誌の歌会に河野さんが提出した歌の「少年めきて」「細き頸している」という青年が「N」だという解釈は時間的に成立しがたいということになります。しかし、後には「N」についても「少年めいて」という言い方はしています。
同人誌での二人の出会いは、会場に早く着き二人の時間が少しあり、永田さんが自分の歌がのっている「塔」という歌誌を見せ、河野さんが表紙にとく関心をみせたとか、お互いに「生意気」と感じたとか、参加者の中の一人と一人という以上の強い関心をお互いに感じた出会いだったようです。
この出会いのあと、八島での河野さんと「N」の出会いが続きます。時系列的には後になりますが、こちらの二人は「コスモス短歌会」の会員同士としてお互いの歌を読み合い、注目していたという事情があり、初対面から関係と感情が一気に盛り上がる条件があったと思われます。この出会いの時のこととして、日記に「青林檎」が出てきます。会期が終わって帰るとき、バスに乗る河野さんが「N」に青林檎を渡して別れたと書かれています。
②「N」考
『あの胸が岬のように遠かった』の本によれば、河野さんは「N」への一途な思いを日記にすごい勢いで書き記したとあります。手紙のやり取りもあり、「N」から絵葉書で愛の歌がきたらしい、その歌が日記に書き留めてあるとも書かれています。
しかし、私の感想から言えば、どうも河野さんが「恋に恋する」感じで、想いを募らせていったのではないかという感じがします。時系列的にみると、永田さんと河野さんが先輩に連れられていって再会するのが10月14日です。その日の河野さんの日記には、「永田さん、一目で好きになった」と記した後に「一体、何故 あの人からお返事がひと月も来ないのか」と書かれていて、「N」から返事が来ていないことがわかります。
河野さんと「N」とのやりとりについては、永田さんは「数カ月の手紙のやりとり」と書いています。
③河野さんの永田さんへの傾斜
学生短歌同人誌の集まりで出会った二人は、お互いに相手に注目し好意的な印象を持ったようです。二人がそれ以後会うのは、前述した先輩に連れられての再会が10月14日、翌々日16日の「幻想派」同人の講演とパネルディスカッションでは、河野さんの日記では「お隣に座っていて、私たちはお互いに意識しあっていた」と記した後で永田さんへの強い傾斜を感じたことを書いています。そして11月9日には二人で会い、次第に逢瀬を重ねるようになります。
永田さんの心の動きを示す文章があります。「二度目か三度目の逢いの折り、彼女は『涛』という京都女子大学文芸部の雑誌を私に見せた。そこには彼女の短歌19首も載っていたが、私にはそれより、『紫苑(抄)』と題された創作に強く惹かれた。……俗な言葉で言えば、いっぺんに『参ってしまった』のである。」「私は、恋人として、確かに河野を意識した。どうしても『少年めきて』『細き頸』をしている男から、彼女を奪いたいと思った。」(『たとえば君』)
二人は逢瀬を重ね、河野さんは二人の青年への思いの板挟みに悩むようになります。そのジレンマがほとばしり、永田さんの前で倒れてしまったり(12月11日)、感情を奔出させたり(1月5日)しますが、永田さんに決めていきます。
結局「N」が河野さんを、永田さんとのジレンマに激しく悩ませたのは67年の10月から68年2月くらいまでということでしょうが、後遺症は多少尾を引いたかもしれません。
最終的に河野さんの気持ちがさっぱりと決着するのは、1969年に角川短歌賞を受賞し、授賞式に上京した際に「N」も祝いにかけつけ、京都にかえる河野さんを東京駅まで送った時のことかもしれません。河野さんが永田さんに駅まで迎えに来てと電話するときに、電話する河野さんの横で、「N」が公衆電話に十円玉をせっせと投入していたというのです。期せずして、三人の共同作業による電話連絡となり、河野さんはこのことをとてもうれしそうに日記に書いていたのでした。(当時、公衆電話での長距離通話では十円玉を途切れず投入することが必要でした。)
④青林檎
河野さんの第一歌集『森のやうに獣のやうに』には、「青林檎」と題した29連があり、そのうち三首は「N」を思いきる気持ちをうたっているように私にはとれます。(短歌は引用しません。文章は一部引用していますが、短歌は一首全部引用することになりますので遠慮しています。著作権法的には評論のための引用は可能ですが、私はSNSでの引用は抑制的に考えています。どうぞ、歌集や著作を直接お読みください。)
しかし、「青林檎」は八島での出会いの時のことであり、結局「N」への恋心に関連する出会いは八島のときしかなかったのだと私は受け取っています。
⑤河野さんは画像記憶の人か
永田ご夫妻の子供さんの書いたものを読むと、河野さんはある記憶の情景や、そこにあったものなどをよく覚えていたといいます。なかには、まるで画像記憶のことではないかと思わせる記述にも出会います。優れた芸術家には、画像記憶の持ち主がいるといわれますが、河野さんもそうだったのでしょうか。
宮本百合子の画像記憶について、宮本顕治がどこかでのべていた記憶があります。