11月初旬に役場から突然の電話。何事かとでて見ると教育委員会のK君。
市町村対抗駅伝競走の50代への出走依頼だった。
さすがに二つ返事で受けれないから、しばらく考える時間をもらって返事は後日とした。
11月下旬、忙しさから返事を忘れているとK君から確認の電話があった。
体調とかいろいろ問題もあって断ろうと思ってたが、家族は出てみたらと、K君は何とか出て欲しいと、押し切られる形で承諾してしまった。
この時、まだ駅伝のことは深く考えてなかった。
3.2キロならマラソン練習もそこそこやってるし、
何とかなる程度。この時まで。
結団式で小学生から一般までの選手と会って、さらに過去の記録見ると、確かに高千穂の50代はあまり
記録は良い方ではない。でも他の市町村は凄いタイム。急に過酷な現実の中に放り出されたような。
この時点で、数日後のマラソンはリタイヤが頭をよぎる。(ここから逃げまくってたなあ)
結局、青太マラソン大会は32キロでリタイヤ。
ゲガしないうちに次の日から駅伝練習へ。
とりあえず駅伝大会まで1か月ない。Nさんにお願いしてアミノバイタルトレーニングセンターのトラックで、シューズの試走を兼ねてインターバル。
試したシューズは、自分のペイパー、メタ、Nさんのアルファフライ、ニトロエリート2。
結果はやはりニトロエリート2が1番スピードが出た。これでマラソンではなく駅伝で3キロ走れるよう練習すれば、何とか戦えるかもと思ってしまい、訳のわからない希望が見えた気がした。
それからの練習は、インターバルをほぼ毎日やるのみ。間でリカバリーにバイクやったり。
でもやっぱり年末が迫るころケガをしてしまった。
股関節、特に坐骨辺りと、あと骨盤左側が結構痛む。
いつもよりはトレーニング前後のストレッチは入念にやってたつもりだった。
とうとう年末大晦日には腰痛も併発して、全く走れなくなってしまった。
元旦、痛み止めやシップのおかげでだいぶ良い。
とりあえずジョグ10キロから開始。
もう一度、基本的な走り方から意識して走ってみると痛みも少なく走れる。
結局ゲガはフォームの悪さから厚底シューズを履いて、強度のある練習をしたために起きたんだと納得。
一昨年から走れなくなってきたのは全てフォームが原因。骨盤が使えなく膝下走りになってた。
これでは長い距離を速く走るのは無理だ。
この日からフォームを意識して、さらにエリート2を履くために練習用にエリートを購入。
エリート
エリート2 見た目もだいぶ違う
大会5日前から肩周りの痛みが取れないので、以前処方してもらってたステロイド5mgを1日1錠飲んだ。
おかげで体の痛みは大会当日までかなり引いて、練習も最低限やった。
大会前日、町のバスで選手みんなで開催地入り。担当区間を試走。夜は市内のホテル泊。
緊張から中々眠れなかった。
大会当日、県庁前からバスで中継地へ。他の選手と話してみると凄い人たちばっかり。今さら後悔しても仕方なく開き直ってアップへ。アップしてるとNさん夫妻、Mさんが応援に駆けつけてくれた。
おかげで緊張も和らぎレースモードへ。
そうこうしているうちに襷はアッという間に来た。
全体11位、町村4位で襷を受け取り飛び出した。
最初1キロはキロ3.50で入った、まずまずのペース。息も上がらず良いペース。行けるかも!
途中Nさんの応援。まだ応えれる余裕はあった。
2キロ目に入ったころ向かい風が強くペースダウン。ガチランナー4人に抜かれる。早くて着いて行けない。
3キロ目、1キロ続く上り坂で更にペースダウン。
途中色んな方から応援もらうがペースが上がらない。
残り500mでMさんから応援&喝!何とか応えて上げたいが、息も絶え絶え足は動かず。
最後の200m下りを何とか走り襷を中学男子に繋げ一安心。だいぶ順位は落とした。
走り終えると、Mさん、町長、教育長、議長が労いに来てくれてた。
情け無い走りで、メンバーには申し訳なかったが、我が町は最後まで襷を繋げてゴールできた。
今回この役目を受けてしまったことを、かなり後悔していた。走り終えるともう2度と走らない思いでいっぱいだった。選手回収バスの中もあちこちで選手の本音が漏れ聞こえてた。
だが時間が経つと、1から駅伝練習してリベンジしたいと思う気持ちが湧いて来るから不思議だ。
昨年は体調不良やゲガ、メンタル的にも充分なトレーニングができなかった。
今年は体調も回復基調だし、メンタルも明るくなってきてる気がする。
年末までに充分なトレーニングができてタイムが出せるなら、来年のリベンジも目指そうかな。
今回トレーニングを、支えてくれたNさん家族、Nさん、Mさんをはじめ応援に来てくれたみなさんに
心から感謝したい。とても励まされました。