桂昌院と蕎麦 | そば雅 (そば打ち職人)

そば雅 (そば打ち職人)

長野へ出掛けた帰り道に檜の麺棒を購入したのがキッカケで蕎麦打ちに挑戦しましたが実に難しく、美味しい手打ち蕎麦を極めようと独学で研鑽。
今では蕎麦の奥深さに魅了され、少しでもこの思いを広めたい、と思っています。

テレビドラマでも度々登場する桂昌院は、3代将軍徳川家光の側室で5代将軍綱吉の生母、通称「玉」。

寛永4年(1627)~宝永2年(1705)、79歳没。

 

 

 

京都大徳寺付近で八百屋・仁左衛門の娘として生まれ、荷車を押して行商している折、目にとまり14歳で大奥へ。

厳しい階級社会の中にあって17歳の時将軍の目にとまり、寵愛を受けます。

仏教に深く帰依し、綱吉に「生類憐れみの令」を出させたそうです。

 

 

可愛がってくれた春日局の従二位を超えて、従一位の官位という頂点まで上り詰めたことから、「玉の輿」という言葉が生まれた、という俗説も。

東洋のシンデレラともいわれた桂昌院ですが、庶民の出らしく無類の蕎麦好きで、僧侶や各地の大名から献上された蕎麦を喜んで食べたという記録が残っています。

 

現代でも女性がお金持ちの男性と結婚して、自分も裕福な立場になることを「玉の輿」という言葉で使われますが、男性が反対の立場を「逆玉」と。

 

 

「玉」について

今は1~5の勘定をするときに正ちゃんを使いますが、昔は玉を使って五にしていました。

 

 

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