関東の鰹節文化・関西の昆布文化、という言葉は屢々耳にします。
今では極端に偏っているとは言い切れませんが、然し乍らある意味では傾向が残っているかもしれません。
関西では北海道から北前船で浪速まで昆布が運ばれて昆布文化に、関東では近くの焼津や土佐から運ばれた鰹が・・・・・・。
-資料から-
日本の文献に昆布が登場するのは「続日本書紀」霊亀元年(815年)冬、とされています。
この時期の昆布は朝廷への貢納品で、庶民には届いていませんでした。
平安中期「宇津保物語」は鰹の削り物、という一節がありますが、花鰹・鰹節という呼び名で文献に登場するのは、さらに500年後だそうです。
出汁の起源は奈良時代にまで遡り、古事記に堅魚(鰹節の原型)と表記され、調理の材料として用いられていたそうです。
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