一万数千年前の日本各地に、小さな集落を作って暮らしていた縄文人。
稲作よりも早い時期に蕎麦が栽培されていたことは、日本各地の遺跡から判明しています。
製粉技術が低かったり手間が掛かるという理由で、雑炊にしたりお湯を使って練ったものを食べていたようです。
日本最古の「新日本書記」には、救荒食物として植え付けを奨励している記述があります。
彼らの生活は平和であり、豊かであり、かなりグルメだったようです。
食料は(胡桃・椎茸・ゆりね・シギ・アホウドリ・鹿・猪・狸・狐・野兎・日本猿)等の他に(鰹・真鯛・鯉・鮒・蛤・浅蜊・牡蛎・鮑・栄螺・河豚)等を生で食べたり一夜干しにしたり、団栗や胡桃の粉でハンバーグにして食べたり、酵母を発酵させて保存食まで作っていたことが判明しています。
狩猟や釣りも巧みだったのでしょうが、知恵も相当進んでいたようですね。
驚くことに青森の三内丸山個古墳では、編み物をしていたことも分かりました。
生活住居に使っていた柱の寸法も正確で、既に60㎝や30㎝の尺度が使われていたり、太陽の昇・沈の方向を知っていて、天文学の知識も持ち合わせていたことがうかがえます。
縄文時代当初の人口は二万人程、前期後半は十万人、後期には二十六万人に増えたようです。
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