屋台に風鈴をぶら下げてキレイな器で簡単ながら種物も扱い、それまでの夜鷹蕎麦と差別化した蕎麦屋さんで、宝暦の頃に江戸に現れ始めました。
「明話誌」という文献にも登場し「近世職人絵詞」には絵が描かれていますが、二八そばの行灯を掲げて16文で商いをしていたそうです。
風鈴蕎麦屋は明治時代の後期まで多数あったそうですが、夜間に廓外に商いに来る風鈴蕎麦を吉原言葉では「お神楽/おかぐら」といいました。
お神楽→獅子→4×4→16文の洒落から。
うどんも商いしていた京浜では「夜鳴きうどん」と呼ばれていたそうです。
池波正太郎の「鬼平犯科帳」のテレビタイトルに出ていましたね。
昔から「親馬鹿ちゃんりん・蕎麦屋の風鈴」という、我が子を溺愛する親を揶揄したことばがあります。
季節外れの冬でも風鈴を鳴らす頓珍漢な風鈴蕎麦屋は親馬鹿と同じ、との意から。
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