(明かりなし蕎麦/燈無蕎麦)
江戸時代の本所南割下水(現在の東京都・墨田区)近くに、夜になっても行灯の火がついていない無人の蕎麦屋がありました。
客が何度呼んでも、いつまでたっても店の主人は出てきません。
不思議なことに店内は暖かく、お湯も沸いて蕎麦の香りもするのです。
客は商売に差し支えるだろうと思い、火打ち石を使って行灯に火を灯すのですが、どこからともなく風が入り込んですぐに消えてしまいます。
何度火をつけても消えてしまうのです。
何人もの客が訪れて同じように火をつけるのですが、すぐ消えてしまうという繰り返しです。
訪れた客は結局諦めて皆帰宅するのですが、何故かその後は決まって客の家に凶事が起きるのです。
(消えずの行灯/燈無と真逆の話)
誰も給油していないのに行灯の油が一向に尽きず、一晩中どころか何日たっても夜になると、いつの間にか勝手に行灯に灯がともります。
この店に立ち寄ると不幸に見舞われる、という伝承。
当時は夫々の話が狸や狐の仕業といわれ、歌川国輝という浮世絵師が狸として描いています。
現代と違って色々な音や明かりの殆どない時代、多くの怪談や迷信が闊歩していました。
ホラーなど何もない時代は、暗がりだけでも怖がられた時代ですね。
-歌川国輝-
歌川国定の門人で嘉永から安政にかけて活躍。
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