ごきげんよう宝石赤みやたかなです。
 
はじめての方はこちらプレゼント
 
昨日の続きで、
私が盛大にボロボロになった話(笑)を
させていただきますね。
8月にやってきている妨害の現れ方
その具体的な対処方法をふまえて
 
詳しくはこちら→今、あなたがしんどい理由
 

・目に見えないものが私たちそれぞれの
    1番大事な弱い部分を攻撃してくること

・もうすぐ終わるから耐えること

・チャンスと捉えて向き合うこと

が、主な内容です。


私にとって
1番大事なものは家族で、

夫・娘・お腹の子に
モロに影響が出ました。


「困るな、大変だ」と不安になったけど、

同時に

「これかぁ。なるほどね。」と思いました。


そして、

・キツイ程、期待&ギフトが大きい
・むしろドMに喜ぶべし

ということも学んでいたので

詳しくはこちら


根っからの体育会系の私は

「よし、成長してやる。もっと来い!!」

と、ファイティングポーズを取りました。


9月にやってくる光がより眩しくなるのなら
どんな暗黒でも受け入れてやろうと思って。


向き合う覚悟をもったつもりで。




そう、つもりで。




本当はそこまで覚悟できてないのに、
リングに上がってしまいました。




そしたら、

本当に次から次へと
大変な状況がやってきた滝汗


具体的には、

夫→
おしりのデキモノが酷くなって、
皮膚科に通ったら切ることになり、
痛みに悶絶。
「最悪、皮膚移植」と言われる。

その後はおしりは良くなってきたが、
突然風邪ではない謎の発熱があり、内科へ。
具合が悪くて診察中に倒れ、
髄膜炎の疑いで救急車で大学病院に運ばれる。

点滴で回復し、
当日は髄膜炎の検査せず一度帰宅。
元気になったから翌日出社する。

が、その翌日、熱はないが気分が悪くなり
大学病院にて診察を受ける。
髄膜炎は陰性だったが、
今度は不整脈(脈が遅い?1分間に40!)で
完全房室ブロック症という大病の可能性が
出てきて、ERへ入院。


娘→
手足口病で、今後発熱の恐れありと診断。
発疹だけで熱は出ず元気だが、
保育園に行けないため
そのぶん育児がしんどすぎる。

手足口病治ったら今度は急性結膜炎になり、
更に保育園に行けなくなる期間延長。
夫不在の中育児がしんどすぎるの継続。


私→
子宮頚管が短いため自宅安静となり、
食事やお風呂以外はなるべく横になるように
指示される。

30週を過ぎてお腹が重くなり、
妊娠後期のしんどさ倍増。

でも娘の育児はある。
夫が本当に心配。
 
という感じでした。

参考記事はこちら
 

治らない夫、娘、そして
思うように動けない私。


私はこの時、

「ここはマダムアキコに学んだ通り、
期待の裏返しととらえて
冷静に対処しなければならない。」

「これは喜ぶべき事態である。
そしてもうすぐ終わるはすだ。」

そう思って、

「不安だけど
不安がってはいけない。」


と、辛いのに、かなりがんばりました。

 
突然の夫の入院にビックリした義母や親戚、
ヘルプに来てくれた実母たちは
私に対して、

「大変だけど頑張って。
これから赤ちゃん産まれるしもっと大変になるんだから」

「仕方ないじゃない。やるしかないんだから。」

と、言いました。


【動けないのに頑張れって、
これ以上何をやれっていうのか?
何?もっと耐えろってこと?
これ以上気丈にやれというのか??】

というウンザリ感や憤りと共に

【ヘルプにきてくれて本当にありがたいし
頭が上がらないほど感謝してるし
本当に申し訳ないとも思うけれど、

私は弱音をも、
許されないんだなぁ…】

と、悟ったのでした。


私のこの辛さは
誰もシェアしてくれないし
話も聞いてもらえないし
楽になることもなく

これからもっと、
大変になるかもしれない。


夜中、隣で娘が寝息を立てる中、


1人で

夫に何かあったらどうしよう
お腹の子は大丈夫なのか
私はやっていけるんだろうか

とか色々思って、

私ばっかりなんでこんなことになるのか。
何?家族運が悪いの?
私の何がいけなかったんだろうか

(これは無意識にファイティングポーズを
 取ったツケが回ってきただけなんだけど)


これほどキツイなんて思わなかった

もう限界だ

そう思って、

そこで初めて、ボロボロ泣いたのでした。



続く。