『ゴキゲンな風に吹かれて』          ――ゴキゲン自由学校・生徒会長日誌 -9ページ目

『ゴキゲンな風に吹かれて』          ――ゴキゲン自由学校・生徒会長日誌

校則●1 明るく楽しく。元気よく気分よく。
校則●2 背筋を伸ばして颯爽と歩こう。 ※野暮・無粋厳禁
校則●3 考え過ぎちゃダメ。 「テイキリージー!気楽にね」
校則●4 人の数だけ生き方がある。 「隣人を愛せよ」
校則●5 いつも何かを喜んでいなさい。

■0122

第152回 芥川・直木賞が発表された。


一介の本好きとして、今回ほどこの賞に無関心でいられたことはこれまでなかった。


受賞した西さん、小野さんの作品を読んだことがない。


今後掲載雑誌を立ち読みすることはあるだろうが、期待はない。


そろそろこいつにあげようか・・・・・ 的な雰囲気がムンムンしている。


これでは、過去受賞作に匹敵するような力作を発表して落選していった作家たちが可哀相になる。


思い出すのは、「月はどっちに出てる?」のヤン・ソギル「血と骨」の落選だ。


あと半年、一年、発表が前後していたら間違いなく受賞していただろう。


その時の受賞作品が車谷長吉「赤目四十八瀧心中未遂」。


それくらいレベルの高い作品、そして選考だった。


しかしまあ作品というものは、本当に読んでみないとわからない。西さんの本はもう出版されてるようだから、さ、これからさっそく本屋に行ってみるか。


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今年最初に読んだ本。


丸山健二「生者へ」 新潮社刊


生誕から現在までの芸術感の推移、変遷、どのような思いのもと自分の行動はあったのかをじっくり検証している重厚な著。その言葉の鋭さが、生半かに生きてきたわたしを容赦なく刺してくる。


皆が皆、世界中でたった一人の自分の人生を今日も生きている。


行動の中に、その人なりの“思い” “信念”がなければ、ただ毎日だらだらと仕事をし、あっという間に年齢だけが重く重くかさなっていくだけだ。


少年老いやすく学成りがたし―― 勉強せねばなりません。



■0117

新宿で飲み会があった。


数人顔見知りがいたが、ほとんど誰が来るのか不明な飲み会だった。


5、6人ほどの会。同業者ばかりではないが、それらしき人たちが集まっていた。


挨拶も終わって何かを話したいが、何も話題がない。


相手もこちらの出方を伺っている。そんな空気感の酒宴。


年齢の違いだけではない、お互いに感じている違和感。モノづくりに関わる人特有のプライドの高さ。


こういう飲み会にはもう参加しないように気をつけていたのだが・・・・・


またのこのこと出てきてしまってこんな気分に襲われている。


年末に岩澤先生と立川で飲んだ酒とはまったく別物の会。落差がひどい。


やっぱり酒は気の置けない近しい人と飲むのがよろしい。



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ただ新宿三丁目は人で溢れてたなあ。こんなに人が出てるなんてまったく知らなかった。


ここに来ればどこでも飲めるし、ハズレがほとんどないと言っていいほどの飲み屋街だし、みんな戻ってきたってことなんだろうな。


三島由紀夫の「どん底」、椎名誠の「池林房」にも、どんどん人が吸い込まれていった。


いやいや、新宿三丁目はまったく健在です。


■0113

“パリもの”と呼ばれる本はいろいろあるが、わたしにとって最高傑作は、永井荷風『ふらんす物語』。


ヘミングウェイ『陽はまた昇る』もいいことはいいけど、荷風のこれに比べれば、中学生の・・・・・ ねえ。


先日、本の整理をしていたら突然目の前に出てきて、ページをぱらぱらめくっていると、やっぱりいつものようにグッと引きこまれてしまった。本の整理なんて、そんなものはどうでもよくなってしまった。


まったくこの本は、パリに引きつけられる人々の心情を、これでもかと露わにしてしまっている。荷風の代表作の一つだ。



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今、パリが大変なことになっている。あのパリが・・・・・


わたしが初めて海外の地に立った場所は、パリである。いろんな偶然が重なってパリへの旅行になったのだが、今となってはそれで良かったと思っている。


当時イラン・イラク情勢がおかしくなっており、ついでにインドと中国も不穏は空気に包まれていた。だからあの辺りの上空は飛行機が飛べない時代だった。


わたしが買った航空券は当然一番安いシロモノだから、キャセイ・パシフィックを使って香港でのトランジット(乗り換え)便だった。シベリアルートで軽く20時間はかかった。だから地球儀的に俯瞰して見れば、逆S字で飛んだことになる。


飛行機嫌いのわたしが飛行機に乗ったのも、時の自分の人生に対して、


もうどうでもいいや―― と思ったからである。


当時のわたしは今のわたしよりも150倍くらい“本当に”枯れ果てていたから、パリはわたしのこころの隅々まで、深く深く染みいってきた。ブラッセリーからブラッセリーを渡り歩き、昼も夜も一人で安ワインを飲み続け、目の前を流れてゆく風景をただ眺めた。


娼婦街サンドニを歩いたのもいい思い出だ。メロンを2つ胸にしまってあるのかというような盛大な娼婦が街角にゴロゴロ突っ立っており、楽しかった。


買いもしないのにジロジロ見てばかりいると、突然怒られてしまいそうな、そんな迫力が彼女たちにはあった。


パリで過ごした時間は、芳醇な懐かしさとともに今もありありと思い出せる。


パリを去るときが来て、北駅からTGVでドーバーを渡りロンドンに入った。ロンドンに思い出はない。


あんな街は銀座と同じ。「セール!」「セール!」「セール!」そればっかり。


フライフィッシングメーカーの最高峰「ハウス・オブ・ハーディ」本店に行ったのが、唯一ロンドンで覚えていること。


またパリに行きたい。いや、短期間でいいから腰を落ち着けて暮らしてみたい。


今夜は安物でいいから赤ワインをじっくりやろう。愛すべきパリが、いつものパリに早く戻ることを祈って。