■0815
今日は終戦記念日。
69年前、日本がアメリカをはじめとした戦勝国からの無条件降伏を受け入れ、太平洋戦争、ひいては第二次世界大戦が終結した日。
1945年8月15日の日本はとても暑く、夏らしい青空がひろがっていたという証言があります。
今日もとても暑くなるそうです。素晴らしい青空が広がっております。この空はあの日の空と同じでしょうか。
わたしは国粋主義者ではないし、だから「右」でもないし、まして「左」でもありません。ですが今年の8月15日は、靖国神社に行ってみようと思ってました。
いつもこの時期は田舎の実家でまったりしているのですが、今年は在京することが決まっていたので、じゃあ行ってみるべかという、それくらいなものです。
わたしの家系では、二人ほど、若くして兵隊に取られ戦死しているものがいます。このお二人に手を合わせたいという気持ちはずっとありました。まずはそれを今回は成し遂げてみます。
おそらく我が家系にとって、今回のわたしの靖国参拝は、靖国神社で手を合わせる初めての血族になるのでは、と思います。
午後3時過ぎ、東京九段の靖国神社に着きました。
群集の中には海外からの人たちの姿も見かけます。老若男女、様々の人たちにまぎれて、わたしも門をくぐりました。
まずは境内を一周します。有名な遊就館の中には、当時の零戦がそのまま展示されてました。
遊就館入口付近にこんな言葉を見つけました。
戦争で死んでいった軍馬たちも弔われていました。
東南アジア各地で行われた全滅戦の数々。当時日本兵たちが穿いていた軍靴が展示されてました。
入口付近に戻ってきました。大扉には菊の御紋。
さて参拝の列に並びましたが、、、、この人、人、人。いったい何時間後にお参りできるのでしょうか。
熱射病で倒れる人もいるらしく、救護テントが横に張り出されてました。わたしも倒れそうなので、この列から外れることにしました。
わたし、参拝最前列、社殿の横に立って、そこで手を合わせ、祈りました。まずは二人の御先祖様に、それからすべての戦没者に。
69年目か、、、やっと来やがったな、我が末裔が。しかもこの悪たれ小僧がね、フフフ――
御先祖様がそう言ったかどうか、それはわかりません。ですがもし、そんなことを思ってくれていたら、それはそれで光栄、最高にしあわせです。
実家の仏壇に飾られてある二人のセピア色の写真を思い浮かべました。
友人と語らいながらうまい酒を飲んだこともなく、いい小説もいい音楽も知らず、映画を観ることもなく、女も知らず・・・
女も知らず、と思い至ったところで、わたし急に目が熱くなってしまいました。
生きたかったろうなァ・・・・・
わたし、暑いなぁと口を動かし、天を仰いで汗を拭うフリをしながら目を拭きました。御先祖様の二人を含め、空に散り、土に弾けたすべての日本兵たちが、ただただ痛ましいだけなのでした。
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境内を出て、これは神社前の銅像。この勇ましさこそが、わたしには違和感そのものなのです。
世界中どの国にもあるであろう、このような像。この勇ましさこそが、その国の民衆をどれだけ苦しめてきたことか。
靖国神社を後して、市ヶ谷から新宿まで電車で移動してブラブラしてみました。靖国通りを挟んで発達してきた、さんざん飲み歩いた新宿3丁目の街並みもまったく味気なくなりました。
ビルの横にせり出す看板も、どこの駅前にもある、あの店とあの店とあの店のものばかり。貴金属買取ショップも目立ってましたね。
貴金属を買う人が多いなら景気もいいということだろうが、売る人が多くて買取ショップがこれだけ街に繁茂している実体は、やっぱりこの国の経済状態は今だ下降しているのだろうな。
どこかで飲んでも良かったのですが、昔行った店はまだどこも開けてませんでした。夕方前だもんね。
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終戦記念日に靖国神社を体験できたのは収穫でした。子供を連れた父親とか、友達同士の若者たち、カップル、外国人、、、多様な人々がそれぞれの思いでここに来て手を合わせていた風景は、まだまだ捨てたもんじゃないぞニッポン! と思わせるものがあったから。
イデオロギーに走らず靖国を考えることは不可能でしょうが、この日本に生きる日本人として、自分の今ある人生のポジショニングが不明、わからなくなったら、ここに来てゆっくり、不幸な運命を背負ってしまった先人たちに思いを馳せながら、この国とこの国の人、その中で生きる自分のことを考えてみるのは、時にいいことでしょう。本当に大事なものがどんどん見えてきます。
来年は終戦から70年。もし在京していたら、また来たいと思います。


















