■0913
最近行きつけになっている古本屋でこんな本を買いました。
ギャビン・ライアル著「深夜プラス1」 (ハヤカワ文庫)。
冒険小説の名作ですね―。まだ数ページしか読んでませんが、もう一気にその世界観に引きこまれてしまってます。ハイ。
でも深夜プラス1と言えば、新宿ゴールデン街のバー「深夜プラス1」という人も多いのではないでしょうか。
先年なくなった俳優でコメディアンの内藤陳さんのお店で、日本冒険小説協会の事務局も兼ねてます。
もうずいぶん昔のこと。わたしが初めてお店を訪れた夜。本好きの会員が連夜どっさり訪れているという評判は聞いていたものの、その熱気たるや、ドアを開いた瞬間、無数の話し声と煙草の煙に一気に包まれた。
ガスってる店内に目をやると、カウンターの中に内藤さんが立っていた。笑顔でこちらを見る内藤さんと目が合った。軽く目礼すると、おッ新顔じゃん、という目になった。内藤さんは前にいるお客に、ちょっとそこ開けてと言い、彼らの背後にあった丸イスを間に入れさせた。ここ座んなよ。内藤さんが言った。わたしは両隣のお客にスイマセンと言い、丸イスに座った。そして内藤さんに今晩は、と言った。
「会員かい?」
「いえ、会員じゃないです」
「そう。ウチは会員の店だからさ。でもいいよ。何飲む?」
わたしは内藤さんに角の水割りを作ってもらった。お通しは麦チョコのみ。麦チョコをポリポリやりながら飲む水割りのうまさを、この夜初めて知った。目の前の内藤さんは、会員たちとの会話を楽しみながら、フォア・ローゼスの極薄の水割りを延々と飲み続けていた。
その夜を境に、お店に週イチ程度で通うようになった。内藤さんがいる夜もあったし、いない夜もあった。いれば会長会長と次々会員たちに話しかけられ忙しそうにしていた。わたしはカイチョウではなく、ナイトウサンと呼ばせてもらっていた。会員たちとの話が途切れれば、ポツポツと会話もしてもらえるようにもなっていた。
「多読を誇らず、少読を恥じず」
これが日本冒険小説協会のモットーらしい。
いっぱい読んでるなんて全然関係ないから。いい本に出会うかどうかだからさ、読書は――
2mほどの“本の塔”がギッシリそびえ立つ自室でいっぱい本を読んできた内藤さんと、読書について話しをさせてもらった最後、内藤さんはそう言って笑った。
その頃わたしも、たくさん読んでいるというその一点だけで、その座の頂点に立っているかのような、勘違いクンや勘違いチャンをたくさん見てきてうんざりしていたので、まったくそのとおりだなぁと、ひどく納得した。
その多読をベースに、店内で偉そうにしている輩は内藤さんが追い出してしまうという話も聞いた。
実際そんなシーンは見たことがないが、がっちり内藤さんにこらしめられている、ピントがずれたサラリーマンたちは何人も見た。
「決して売り渡さないもの、それは自尊心」と語っていた内藤さん。
ここに内藤さんの言葉が残ってますので抜粋して載せます。
*****
~日本冒険小説協会 会長 内藤陳のご挨拶より~ 抜粋
「血が男の中に流れている限り、不可能ということはないんだよ」 デズモンド・バグリィ著 高い砦
おれは、何もかも失ったコメディアンくずれの男だ。失うことのできるものは、もう命くらいしか、残っていない。
ナイトー・チンというのが名前だ。
以前をいえば、日本でも指折りの、ハードボイルドコメディアンだった。だがおれの女房は「夜毎の酒」で、おれの親友は「オモシロ本」だった。こいつがあるばっかりに、おれのアタマは狂ってしまった。だがおれは、そのどちらも手放すことができなかった。
いまは、新宿のゴールデン街でマクツと呼ばれる酒場「深夜プラス1」で神をやっている。この裏町でさえおれは嬉しい。この裏町でさえ、ひとは世界中からおれのところへやってくる。その人びとには、優しさがある。粋な会話とバカ話がある。ホモシロ本とオモシロ映画の世界がある。
そして、おれは、いまでもコメディアンなのだ。日本でも指折りの、売れないコメディアンなのだ。
*****
お酒を飲みながらの内藤さんとの会話は、今となれば本当に懐かしい。ありがたい出会いだった。
「お昼のコーヒー我慢して文庫本買うんだよ―」
笑みを浮かべて優しく語る内藤さんの言葉が、今も頭の中で響くときがある。
■0915
オールスター競輪前橋大会が終了した。武田(茨城)が優勝した。軽くひと捲くりしたレースだった。わたしは3日目には打ち切っていたので、テレビ観戦だけだった。
■0916
昼過ぎだったでしょうか。NHKを観てたらキューン、キューンとテレビが鳴り出して、緊急地震速報です、と言い出した。
軽いグラグラが来て、どこまで大きくなるのか身構えていたら、結構な揺れが始まった。
わたしはデスク前から立ち上がりテレビを押さえた。2011年の大地震の時にテレビが床に落ちて画面を傷つけてしまって買い換えた経験があるから。
床に直に積み上げてある本は崩れてバラバラになって、壁から一枚のサインが落ちてガラスを割った。緒形拳さんのサインである。
わたしの中にある名優の条件として、演技を超えて、人間という枠を超えて野の獣になれるかどうか、というのがある。
『ゴッドファーザー』 アル・パチーノ
『ディア・ハンター』 ロバート・デニーロ
『シャイニング』 ジャック・ニコルソン
・・・・・などなど。
日本の俳優の中で、これまで三人だけ、人間から獣になった俳優がいる。
『蜘蛛之巣城』『七人の侍』など黒澤映画で主役を張り続けた三船敏郎。
『野獣死すべし』『ブラックレイン』の松田優作。
そして『復讐するは我にあり』の緒形拳。
緒形さんは書家でもあるので、滅多な事では外に自筆のものは残さない。だからこのサインは非常に貴重なものだ。
このサインを緒形さんに直接書いてもらったときのことは今も鮮やかに覚えている。
あるテレビ局内にて、わたしは胸を高鳴らせ、緒形さんを待っていた。一ファンとして、お慕いする下僕として、どうしても緒形さんのサインが欲しかった。
長く続く廊下の奥に一つの集団が見え、こちらへと向ってくる。今さっき撮影を終えたばかりの緒形さんが中央にいた。わたしは緒形さんの前まで行って、緒形さんサイン頂けませんか、と言った。突然のことにビックリした緒形さんは、特徴的なあの大きな目でこちらを凝視していた。わたしは緒形さんの目を見た。そのときわたしは緒形さんに、わたしという一個の人格を測られていたのだと思う。ちょっと間があって、わたしが差し出す色紙とペンを受け取ると、さささとサインを書いてくれた。緒形さんはその間一言も言葉を発しなかった。取り巻きのプロデューサーたちが面倒くさそうな顔でわたしを見ていた。
今思えば、わたしとしては出過ぎた行動だったと思う。しかし、今日絶対サインを貰うと決意して、若きわたしは行動した。行動し、成就した。純真は人を動かすということがわかったし、こんな自分にも何かを成し遂げた感が残って、そのことが嬉しかった。
気持ちを固く決めて、その人の前に立って、懸命に自分の言葉で語れば、大なれ小なれ必ずそこには化学反応が起きる。思いが通じることもあれば通じないこともあるだろう。しかしそれは成功とか失敗とかいう話ではない。それこそが真の出会いであり、そこからしか人生のチャンスは生まれないということだ。
だってもしあのときサインではなく、弟子にしてください! と自分が言っていたら、事はどう転がっていたか。それは断られるに決まっているだろうけど、緒形さんが気まぐれを起こして、あぁそうかい、いいよ、という可能性だってゼロじゃない。そういうこと。夢想するだけでも楽しいことだ。
今この、昔は確かにあった若々しいエナジーがまったく不足、欠落しているのを感じる。行動することでしか自分を変えていけない。成長していけない。そんなことは重々わかっているのに。
今日サイン額が割れて、そんなことを思いました。
これを機に、もっといい額に緒形さんのサインを入れて、あの日の瑞々しい自分を忘れないようにしよう。













