試みのないところに、成功のあったためしは決してない。

ネルソン(イギリスの地中海艦隊司令長官。ビクトリー号上で戦死。)

いわゆるネルソン提督の名言である。


やらなくては成功か失敗かすらもありえない。


だからこそ、試み、つまり動く事は必要な事だと思う。

(正直に、どうでもいいとおもわれることを書きます、ご了承を)


久しぶりに大学の先輩と会った。

野球のネタで話が弾む弾む。

桑田がどうやら、松井稼がどうだとかで話が進む。

飯も進む。

いやはや、一服の清涼剤。ごちそうさまでした。m(..)m


今日も一日、生きていて良かった。良かった。


そんなこんなで家路に着く。


ふと見た報道ステーション。


文部科学省の調査によると

1999年以降、いじめによる自殺は

公立小中高には無いという。


ある教師は語る。

「いじめ自殺を認めた時点でその担当教師は不適格の烙印を押される。

その時点で又、その学校の校長も不適格の烙印を押される。」


・・・だから認めないと言うのか。


なんだか愕然とする。その状況に。


でも、こんな事いうのもなんだけど、少し判る。

誰だって自分がかわいいものだもの。そうだもの。


でも、誰かが、本当のことを言い始めなくては、いけないのではないだろうか。

誰かが、先鞭をつけなくてはいけないのではないのだろうか。


じゃあ「俺が」って言う人はいないのか?


でも、「俺がやる」の「俺が」じゃなくて

なんで俺が」の「俺が」なんだろうな。


いやはや、人の世は斯くも難しいものなのか。



そんな事考えながらブックオフで買った手相の本を見る。

う~む。見れば見るほど、自分の手相が悪い手相に見えてくる。

というか、


自分の手が線だらけで何が何の線だか

じぇんじぇんわかりましぇん!!!ヽ(;´Д`)ノ


ハッキリ判るの生命線くらいだよ・・・・°・(ノД`)・°・


そういえば、約1年半前、遠く長崎の地で手相を見てもらったことがある。

なんて言われたかなんて記憶に残っていないわい。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。


あ~覚えておくべきだったな~( ̄_ ̄ i)


そういえば日本ハムの金村投手、日本シリーズ登板(予定)おめでとう。

ヨカッタね(^∇^)

ツイてるね(*^ー^)ノ

登板して是非勝利投手になってくださいな。

それで禊が済むでしょう。


さて、明日もやるだけやるか。

「疑う余地のない純粋の悦びのひとつは、勤労のあとの休息である」

哲学者カントも言っていることだし

(正直に、どうでもいいとおもわれることを書きます、ご了承を)


時の流れは速い、もう会社勤めも半年になる。

この前、知り合いと話していると

「○○君はもう会社辞めて、今バイトしているらしい。」なんて事を聞いた。


はい!?もう辞めたですと!?雷


コレには流石にショックだった。

(いや、まあ、そんなにその人とは付き合いは無いのですがね)


おいおい、そんな計画性の無い辞め方でいいのか?


もう少しその会社にいて、見通しが付いてから辞めるべきではなかったのか?


そんな事ばかり考えてしまって。

少々、その人の事が心配に成りました(少々かよ)。



・・・さて、会社に入ると、もうそこが自分にとっての新しい世界、ステージになるわけで、

あまり頭の容量が多く無い私にとっては

「仕事に関係の無い事はもう違う世界の話」

なんて感じで聞き流してしまいます。


正直に言うと、

小泉さんが首相だろうが、安倍さんが首相だろうが、関係ないし

北朝鮮が核実験しようが関係なく

そんな感じで民主党の議員がフリーアナウンサーと不倫していたことなんか


「ふーん」

の一言でやっつけてしまっています。

う~む、これではイカン、イカンぞ~あせる


ああ、大学生の頃は何のニュースでも、驚きと感動を味わっていたんだけどなぁ。


そう、社会人になると、必要不必要の選択が自動的になされるみたいで、

なにかみずみずしい感情が少しずつ無くなっていくような気がしてならない。


大学生の頃は、一日一日がドラマの連続で、楽しかったものだが・・・

今はそういうものが余り無く、

いわば

「マダガスカル島のドードー鳥」

の様な生活。


いや、今の会社が悪いと言うわけではない。

この年齢では高い方の給料を貰っているし、

職場環境も良好(もう少し皆さんがフレンドリーに接してくれると尚○)。


じゃあ一体何がやる気を疎外しているのだろうか・・・


・・・つまりは


本当は何がやりたいんじゃあぁぁぁぁぁ!!!


という事なんだろうと思う。


ああ人間とはなんと欲深い生き物なのだろうか。

あれがみたされれば、

これをみたしたい。

これがみちれば、今度は

それか。


さっきの記事にキケロの言葉を書いたけど、

まさしく

「幸福は、心の平和において成り立つ」

と思う。


結局、欲がみたされても、そこに心の平穏がセットで付いてこなければ、

何もいい事なんて在りはしない。


大学の頃が懐かしい、大学でやった事は全て、

自分の為になると思ってやる事ができていたなぁ。


それが社会人になると、何でこんなにも感情が変わってしまうのだろうか。


いやはや、環境の変化とは恐ろしい。

いや、もしかしたら、環境の変化にかこつけて、

自分のふがいなさを弁護しているだけかもしれない。


こんなことではいかん、いかん。

やってみるだけ、やらなくては。


ああ、あと数時間で仕事か・・・

明日の仕事は私を満たしてくれるものになるのだろうか。


ああ、今日もランキングが下がってゆく・・・

昔のランキングが懐かしい。

幸福は、心の平和において成り立つ

キケロ(ローマの哲学者)


・・・何事も心、精神が平穏無事であればこそ、

幸福は感じる事が出来る。


衣食足りて礼節を知る、と言う言葉も、

この言葉に通じているかもしれません。

大学の友が地元に帰るという。

さらば友よ。また会う日まで。

さらば友よ。いつか会おう。

さらば友よ。苦しい事もあるけれど、そういう時は笑顔を絶やさず行こう。大学の頃の様に。

そう思い、今日も夜は更けてゆく、、、

ある本にこんな詩が紹介されていた。


その題名は「砂の上の足跡」。


内容は大まかにこうである。


ある人は、浜辺を神と並んで歩いていた。

砂の上には二人の足跡がついていた。

黙々として一生懸命に歩いた。

しばらくして振り返ると、ときどき足跡が一つだけしかなかった。

さらに歩いていると、神がささやいた。


「いかなる時も、私はお前の傍らにいるんだよ。

足跡が一つしかなかったのはね、お前が一番苦しかった時、

私はお前を抱いていたからなのだよ



・・・人生の中で、神様が守ってくれている時って、必ずあると思う。


わたしも、そういう時がありました。

言わば崖の上のチキンレースで崖っぷちギリギリで止まった。

どうして、何故、私は思いとどまる事が出来たのか。


そう思うと、神様の温情としか考えられないのです。


皆さんにも、そんな時、ありませんか?

今日のアンビリバボーで前世を特集で扱っていた。


その中では浅間山の噴火で人柱となった前世を持つ人もいた。

その人が催眠療法が語る情報がことごとく一致。

ところが、現世の人はその情報を調べた形跡が全く無い。

むしろ調べても意味の無いものだった。


それでもその証言を調べたVTRをその人に見せると

その人は気を失いかけた。まるで催眠にかかっているかのように。


この番組を見たからではないけど、私は前世と言うのを

あながち信じないわけではない。


そこで携帯電話のサイトではあるが、簡単な前世占いをしてみる事にした。


その結果ではありますが、どうやら私の前世は

お坊さん

だったらしい。


診断結果にはこんな事が。

「時代の表舞台で、栄枯盛衰の流れに翻弄された人。

由緒正しい家系に生まれながらも、

時代の浮き沈みに激しく影響された人生を送ったようです。

栄耀栄華を極めた末に家名断絶の憂き目を見たり、

戦乱の中で落ち延びて追っ手の目を逃れながら暮らしたり、

ちょうどそんな過渡期に生まれ落ちたのも運命だったのでしょうか。


絶える事の無い波乱の人生に早く終止符が打たれることを望み、

いつも安寧の暮らしを夢見ながら過ごしていったようです。

幼い頃から弱肉強食の人間模様を

赤裸々に見せ付けられる境遇に置かれた為、

用心深く精神的な苦労にストレスを感じ続ける毎日だったようです。


自分の意思や望みが叶えられる事は少なく、

幾度となく巡ってきた恋のチャンスも

やがては悲しい結末を迎えてしまったようです。

激しい境遇の中で、

ひとときではあっても想い交わした人と子供を作り、

家庭を築く事があったかもしれません。

でも、その幸せはそう長くは続かず、

再び逃げ落ちる生活が待ち受けていました。


そんな波乱に富んだ人生も晩年を迎えて、

ようやく落ち着きを取り戻します。

出家し、仏門に下る事で一命を取りとめ、

その後、世俗とかけ離れた寺院の奥深くで、

経文を唱えながら捜し求めていた

安寧の幸せな日々を送る事ができたようです。」


齢20半ばとは言え、今が安寧の日々。


前世の苦労が、今の私に恩恵を与えてくれたのかもしれません。

となりましたねぇ、さて、パ・リーグが楽しみです。

久しぶりにリラックスする方法を見つける。


それは、私の住まいの近くにある母校(校内)を帰り際に通る事だ。


一歩一歩、歩き始める。


陸橋を上り、、煌々と照らす街灯の下を歩く。


陸橋を渡ると桜並木の通りへ。


そうそう、ここは春の宵が一番綺麗だ。


先の陸橋は「さくらばし」


名前が一段と引き立つ情景。


早く春が来ないかな、そう感じる。


並木道を通ると、大学の校舎。


昔に戻りたい、と危うく校舎の中へ引きずり込まれる。


おっといけない、これでは先が思いやられるぞと踏みとどまる。


胸を張って、いつでもここにこれるようにとまた歩き始める。


そんな頃には、気分もスッキリ、やる気が出てくるo(^-^)o


皆さんにも、こんな場所があると思います。


それを大事にしてゆきたいですね(^-^)/